よしエSS5 よしこ視点 ドアをノックしようとしてはたと気づく。 そういえばまだ起床時間の1時間以上も前だった。 気持ちよく寝ている所を邪魔するのもアレだと思ったので、悪い気もしたけど勝手に入る事にした。 「…おじゃましま〜す…」 小声で言いながら音を立てないようにドアを開けた。 エイラさんの部屋のドアは鍵がかかることが滅多に無い。 夜間哨戒を終えたサーニャちゃんがいつでも入ってこれるようにいつも鍵をかけないんだという。 「サ、サーニャはほら、夜の間ずっと一人なんだ。帰ってきてまで一人で寝ろだなんて可哀想だろ?だから、その…」 その事を説明する時のエイラさんの慌てぶりを思い出して笑いが漏れそうになる。 わたしが誤解しないように慌てるエイラさんの動きが可笑しくて、可愛かった。 物音を立てないように気をつけて薄暗い部屋を歩き、ようやくエイラさんのベッドまで辿り着く。 「…すぅ…す、んん…」 カーテンの隙間からかすかに洩れてくる朝日を浴びながら、ベッドの上でエイラさんが寝息を立てていた。 エイラさんは寝相がすごく悪い。 掛け布団のシーツをいつの間にか蹴っ飛ばしたらしく、ベッドのそばで丸まって転がっている。 エイラさんはというと、大き目のTシャツに下はズボンだけ、という格好。 しかもそのTシャツが大きくめくれてしまっていて、小さくてかわいいおへそが丸見えで、もう少しめくれたら…その、む、胸まで…。 「い、いくら真夏だからって風邪引いちゃうよ…」 はだけた衣服を直して、足元のシーツを軽くはたいてエイラさんに掛け直す。 「んん…むにゃ…すぅ…」 掛け終わると寝息が乱れて起こしてしまったかと思ったけど、エイラさんはそのまま気持ち良さそうに眠り続けた。 ほっと胸をなでおろす。 …しばらくエイラさんの寝顔を眺めていた。自然と笑みがこぼれる。 起きるまでずっと眺めていたかったけれど、朝はいつも坂本さんと一緒に訓練をする事になっていた。 名残惜しかったけれどそろそろ行かないと遅刻してしまう。 「…行って来るね」 寝息を立てるエイラさんの頬に軽くおはようのキスをして、わたしは滑走路に向かった。 朝7時。起床時間を告げるチャイムが基地に響いた。 「よーし素振りやめ!今日の早朝訓練はここまでとする!」 「はいっ!ありがとうございました!」 坂本さんの号令で振っていた竹刀を仕舞い、急いで基地に戻る。 今日は朝食当番だったので、急いでシャワーを浴びて厨房に行かないと朝ごはんに間に合わなくなっちゃう。 今朝の訓練メニューは滑走路から基地外周をランニング後、海岸線で素振りだった。 おかげで基地からはすこし離れてしまっている。 うう…ランニングした後「基地に戻ってから素振りしませんか?」って言っておくべきだった…。 けれど今更後悔したところで何にもならないのでとにかく走った。 (朝ごはんのメニューは何にしようかな…たしかこの前仕込んだ納豆がちょうどいい頃合だから…) そんな事を考えながら走っていると基地の正門はもう目の前だった。 守衛さんに挨拶をしようと顔を向けると誰かと話していることに気づく。 「…誰だろう…?」 足を止めて呟いた。 守衛さんと話し込んでいるのでこちらからは顔は見えない。 肩をすこし越えるくらいに伸びた白に近い金髪と、薄手の上着や膝丈のジーンズから伸びる透き通るような白い肌が印象的な女の人だ。 朝日を受けて輝くさらさらの金髪にしばらく見とれていると、視線に気づいたらしく笑顔で手を振ってきた。 びっくりしたけど、反応しないのも失礼なので無理矢理笑顔を作って手を振り返す。ひ、引きつってるかも…。 気づくとその女の人は守衛さんと一言二言会話を交わして手を振ってこちらに向かってくるところだった。 え!?どど、どうしよう?こっち来るの!?わたし!? 周囲を見回しても、この場にいるのはわたし一人だ。わたしに向かってくるのは間違いない。 たたた、と小走りで駆けてくる謎の女性。 …あ、つまづいて転びそうになった。おっとっと、と体勢を立て直してなおこちらに向かってくる。 遠くから見ていると小柄な印象を受けたけど、近くで見ると手足がすらっとしてて意外と背が高い。 エイラさんよりちょっと高くて坂本さんよりちょっと小さいくらい…バルクホルンさんと同じくらいかな? …まぁ150センチのわたしから見ればみんな背が高いんだけど…はぁ…。 駆け寄ってきて、重そうな旅行かばんをどすっと地面に置いてふぅ、と一息つく女の人。 短く切りそろえた前髪からのぞくおでこと、幼い印象を受ける丸顔が特徴的な美人だった。 にこっと人懐っこそうな笑顔を作って、 「は、はぁい可愛い子猫ちゃん、わたしのいもうとにならない?」 …なんてことをのたまった。 「……は?」 初対面でいきなり素っ頓狂なことを言われて唖然となる。 え?なに?いもうと…? 「…え、えぇと…」 反応に困ってまごまごしていると女の人が急に向こうを向いてしゃがんでしまった。 「うああ…スベった!やっぱりスベっちゃったよ!第一印象最悪だよぅ…ううぅ…アホネン中佐のアホー!」 …うずくまって何かぶつぶつ言っている。…聞きなれない言語だったので内容まではわからない。 阿呆、という単語だけ聞こえた気がするけど…扶桑語だったのかな? 「え、えっと、あのぅ」 「はっ!うぅ…前向き前向き。ポジティブシンキング、ポジティブシンキング!頑張れわたし!」 声をかけると何か呪文のようなものを唱えて自分自身を鼓舞した後、ぱしぱしっと頬を叩いてすっくと立ち上がる女の人。 急に立ち上がったのでびっくりした。 「あ、あはは、びっくりさせちゃってごめんなさい!えーと、あなた、501基地のウィッチさん?」 「え…あ、はいそうですけど…」 ハの字眉毛で笑顔を作りながらそんな事を聞いてくる。 さっきいきなり妙な事を言われたのですこし警戒する。 けれど、透き通るようなエメラルドグリーンの瞳がきらきらと輝いていて、悪い人ではなさそうだな、と感じた。 「じゃあちょっと基地の責任者さんの所まで案内お願いできるかな?滞在許可取りたいから」 「…あの、失礼ですけれどどなたですか?」 さすがに初対面の得体の知れない人をほいほい案内するほどわたしはバカじゃない…と信じたい。 守衛さんがOKを出したんだから怪しい人ではないんだろうけど、一応身分を証明してもらおうと思った。 「あ、ああごめんなさい、まずは自己紹介しなきゃね」 慌てて姿勢を正してぴっ、と右手を額に当てて敬礼のポーズ。 さっきまでの温和なイメージを忘れさせるほど、凛々しい表情でこう言った。 「スオムス空軍カウハバ基地所属、エルマ・レイヴォネン大尉です!」 「ご、ごめんリーネちゃん!遅れちゃった!」 「もぅ〜遅いよぉ!早朝訓練長引いたの?」 厨房に顔を出すとリーネちゃんが腰に手を添えてぷりぷりとご立腹だった。 「え、えっと違うんだけど…とにかく手伝うね!」 エルマさんを隊長室まで案内したあと、シャワーでさっと汗を流して急いで走ったけれど、 厨房に着いた頃にはもう7時45分を回ろうとしていた。 壁にかけてあった割烹着を慌てて身につけて朝食の支度を手伝う。 今朝のメニューはトースト、ハムエッグ、サラダとじゃがいものクルトン入りポタージュ。 わたしが遅刻したから、結局朝食は扶桑料理にはできなかった。 いや、リーネちゃんの作るブリタニアの朝食は嫌いじゃないけど、 仕込んでおいた納豆がダメになってしまわないか心配でちょっと焦る。 サラダを盛り付けながらここまでの経緯を話した。 「基地に戻る途中でお客さんに会っちゃってね、隊長室まで案内させられちゃった」 「あ〜…それじゃ仕方ないね…ごめんね、芳佳ちゃん」 「ううん、遅れたのは事実だし…あ!それでね!その人、カウハバ基地の大尉さんなんだって!」 「カウハバ…ってスオムスの?じゃあエイラさんの知り合いかもしれないね?」 言われて気づいた。そういえばスオムスといえばエイラさんの故郷だった。 リーネちゃんの言うとおり、もしかしたらスオムス時代のエイラさんの話が聞けるかもしれない。 滞在許可をとる、って言ってたから何日か基地に泊まるのかな?もしもう一度会えたらいろいろ聞いてみようかな…。 そんな事を考えながらサラダを盛り付け終えた時、トースターがチン、と小気味良い音を立ててこんがり焼けたパンを吐き出した。 「そろそろみんな集まってくる頃かなぁ?」 「そうだね」 リーネちゃんがよく焼けたハムエッグをお皿にとりながら言う。ちらりと時計を見るともうすぐ8時だった。 「あ、さっそく誰か来たみたいだよ?」 「はーい!今用意するから…」 リーネちゃんの声に振り向くとそこには… 「…おはよ、ミヤフジ、リーネ」 「…ふがああぁぁぁ〜…ネムイ…」 隊長室へと続く廊下を歩きながらエイラさんが特大のあくびを噛み締めた。 「こんな朝からミーナ中佐に呼び出しなんて何だろうね?」 「知らない…別に何も悪い事とかしてなかったはずだけど…」 わたしの隣をふらふらと歩くエイラさんは頭をぽりぽりと掻きながら話す。 すごく眠そうだ。 「…昨夜は何時くらいに寝たの?」 「4時くらい…かな。ついさっき帰ってきたサーニャに…起こされ…た…Zzz…」 「あ、歩きながら寝たら危ないよ!」 あっちへふらふらこっちへふらふらと、危なっかしい足取りのエイラさんにしがみついて、倒れないように押さえる。 計らずして正面から抱き合う形になってどきっとした。 ふわっとわたしの鼻腔にエイラさんの寝汗…と占いで使うお香みたいな匂いが香る。 「わ…!うぅ…お、起きてエイラさん…」 「…だって3時間ちょいで起こされたんだぞ〜…眠いに決まって…Zzz…」 「お、重いよエイラさん…」 「…失礼だぞ〜ミヤフジ…」 「ご、ごめん…」 エイラさんは背が高くてすらっとしてて…その、かっこいいし綺麗で、重い印象なんて受けないけど、 全身の力を抜いて寄りかかられるとやっぱり重い。 耐え切れなくてだんだんとエイラさんの体がずり落ちそうになる。 「も、も〜〜〜〜っ!」 堪らず魔力を開放して耳と尻尾を発現させた。途端に両腕の負担が軽くなる。 ウィッチの魔力には筋力増加の効果もある。片手で軽々と重い銃器を扱えるのもこの力のおかげだ。 「起きて!起きてよエイラさん!隊長室はもうちょっとだよ!」 「…だ〜め〜…もう眠くて眠くて…」 わたしに抱きかかえられてひらひらと手を振るエイラさん。 ほんともうすぐそこに隊長室の扉は見えてるのに…。 こうなっちゃうともう梃子でも動かない。 「うぅ…しょ、しょうがないなぁもう…」 この手だけはあんまり使いたくなかったけど…しょうがない…よね…? なかなか起きないエイラさんが悪いんだからね! すぅはぁと深呼吸して腹を決める。 「えいっ!…んちゅ」 目を閉じて完全無防備なエイラさんの唇とわたしの唇を重ねた。 今日2回目のキス。でも、今度は口同士。 あああぁぁぁぁ…!は、恥ずかしい…けど、しあわせぇ…。 頭に生えた犬耳がふにゃっとへたれるのがわかった。 「ん…?んんぅぅぅ!?」 どうやら状況に気づいたエイラさんが飛び起きて慌てだした。 びっくりしたのか(そりゃびっくりするよね…)、後ずさって唇同士が離れてしまう。 あぅ…ちょっと物足りないかも…。ダメだ…わたし、どんどんヘンになってく…。 ぽーっと廊下の壁まで後退したエイラさんを見つめた。 「な!?なぁー!?ミ、ミヤ、ミヤフジィ!?」 よほどわたしの行動が予想外だったのか口が回ってない。 「あ、あの…目、覚めた…?」 そっと人差し指で自分の唇を撫でながら言う。 あまりの恥ずかしさにエイラさんの顔を直視できずに少し目を伏せてしまう。 わたし…今きっと真っ赤だ。 「うぇ!?あ、えー…う、うん…少し…あ、いや、完全に覚めた」 「あはは…良かった」 うああ…何か…ヘンな空気になっちゃったよ…どうしよう…。 「…お前らそんな所で何してるんだ」 「「は、はひ!?」」 二人してもじもじしていると急に声を掛けられた。 慌てて見ると隊長室のドアから坂本さんがぴょこんと顔を覗かせていた。…いつもとのギャップで妙に可愛い。 …ってもしかして見られた!? 「あああああああ」 「さ、さかもとさんっ!?いつからみ、みみみみ見てたんですか!?」 「いつって…つい今だが…そんな所で突っ立ってないでさっさと中に入らんか」 「「あ、あはははははは!」」 「…?妙な奴らだな」 み、見られてなかったみたい…だよね? 隊長室に入ると見覚えがある人が部屋の中央のテーブルに腰掛けてお茶を飲んでいた。 「あ!…えーっとエル…」 「エルマ先輩っ!?」 わたしの隣から心底驚いたという声。 あ、やっぱり知り合いだったのかな?エイラさんとエルマさんって。 「やほ、久しぶりだね、エイラ」 朝にも見た人懐っこそうな笑顔でひらひらと手を振るエルマさん。 対するエイラさんは「なんで?」という顔で固まったまま動かない。 「エイラさんは同じ基地出身だから知り合いだと思うけど、宮藤さんはこちらの方をご存知?」 奥の大仰な事務机に座ったミーナ中佐がわたしに聞いてくる。 「ついさっきこの部屋の前まで案内しましたけど…あの、朝食当番だったんでそのまま厨房に…」 「…む、当番だったのか宮藤。遠くまで連れ出してしまってすまなかったな」 隊長の隣に立っていた坂本さんに謝られる。 「あ、いえ!訓練をつけてくれてるんですからそんな…」 「作戦任務中じゃないんだから自分の意見をしっかり主張する事も大切だぞ。」 「…はい!ありがとうございます!」 坂本さんにそう言われて、なんだか認められたようで嬉しい。 「はいはい、じゃあ宮藤さんにはちゃんと紹介しておくわね。いいですか?レイヴォネン大尉」 「あ、じゃあお任せします。わたしって人前で喋るのってどうも苦手で…」 ミーナ中佐がたしなめるようにそう言って、エルマさ…大尉がに眉毛をハの字にしてこにこと返した。 「はい。では宮藤さん、彼女はカウハバ基地のウィッチ、エルマ・レイヴォネン大尉。 今回は休暇中の旅行ということで、後輩であるエイラさんの顔を見に視察にいらしたそうです」 「う、うぇっ!?」 「よかったわね。同郷の先輩の顔が見れて安心したでしょう?エイラさん」 「え…ま、まぁ」 エイラさんの歯切れが悪い。なんだかもじもじと終始落ち着かない様子だ。 …嬉しくないのかな? 「それで、宮藤さんをここに呼んだ理由だけど…あなた自分の名前も告げずに行ってしまったんですって?」 「…あ。そ、そういえば…」 さっきは当番に遅れそう、ってことで頭がいっぱいで、名前を言う余裕が無かったんだった。 「あぁ!き、気にしなくていいからねっ?なんか急いでたみたいだし…ミヤフジ…えーと?」 エルマ大尉が慌ててフォローを入れてくれる。 「芳佳です。宮藤芳佳っていいます」 「宮藤。所属と階級」 坂本さんにすかさずつっこみを入れられる。 「は、えっ?ご、ごめんなさい!だ、だい501戦闘航空団しょぞく…」 「あ、いいですいいです気にしないで!?正式な視察じゃありませんし、さっき中佐と少佐に伺いましたから!」 エルマ大尉と二人でわたわたする。…なんだかわたしとエルマ大尉って似てる…のかな? 二人でどうすればいいのかわからず右往左往していると、 「くぅ〜〜〜〜〜っ」 「きゅるるるる…」 「「あ」」 わたしとエルマ大尉のおなかが同時に鳴った。 「…ぶっ!」 エイラさんが噴き出した。 それを合図にしたのか、坂本さんもミーナ中佐も笑い出す。 「ふふ…そういえば朝食がまだだったわね」 「あっはっはっは!腹が鳴るのは元気な証拠だ!」 と、坂本さんとミーナ中佐。 「っく…くく…ふ、腹筋が…」 エイラさんはというと、おなかを押さえて必死に笑いを堪えながらぷるぷる震えていた。 「「ひ、ひどいですよぉ〜」」 今度は台詞がエルマ大尉とかぶってしまった。 隊長室に響く笑い声の音量が一段階大きくなる。 思わず目を合わせてしまうわたしとエルマ大尉。 「あはは…レイヴォネン大尉は朝食はとられましたか?」 「あ、いえ。今朝早くにロンドンのホテルを出たんですけど、どこもまだ開いてなくて…」 「それじゃあ何か召し上がりますか?食堂もありますが何か用意させてこの部屋で食べる事もできますよ」 人差し指を口元に当てて、うーんと数秒考え込むエルマ大尉。 「…食堂で頂いてもよろしいでしょうか?エイラやミヤフジさんともお話ししたいですし…」 「うむ。やはり大人数で食べた方が食事も美味いでしょう」 エルマ大尉の提案を快く通す坂本さん。 「わかりました。エイラさん、宮藤さん、レイヴォネン大尉を食堂にご案内して差し上げて?」 「ありがとうございます、ディートリンデ中佐、サカモト少佐。あ、あとお茶ご馳走様でした。美味しかったです」 ミーナ中佐が目の端に浮かんだ涙を手で掬って、そう言った。 急に話を振られてびくりとする。 エルマ大尉のお礼に、ミーナ中佐は軽く会釈をして笑顔で応えた。 「あ、はい!エルマ大尉、こっちです!」 そう言いながら隊長室の両開きの大きなドアをエイラさんと二人で開け放つ。 …そういえばエイラさん、口数少なかったな…。 きぃ、ばたん、と大きな音を立てて重いドアが閉まる。…途端エイラさんが珍しく大声を上げた。 「エルマ先輩っ!!」 びっくりして振り向くとエイラさんがエルマ大尉に…抱きついていた。 「先輩先輩先輩っ!」 「わわっ…あはは、エイラはあまえんぼさんだねー」 目を丸くする。エイラさんがこんな行動を起こすなんて思わなかったから。 胸の奥にじくりと厭な痛みが走った。 「ああ…やっぱりエルマ先輩は落ち着きます…これがアホネンとかハッキネンだったらと思うと胃に穴が開いてるとこですよー…」 「あはは…かもねぇ…って本人がいないからって階級つけて呼ばなきゃまずいんじゃないかなぁ…上官だし佐官なんだよ?」 「だ、だって…あいつらキライだし…ハッキネンはともかくアホネンは敬意を払えって言われても絶対に無理です」 「はは…ま、まぁ気持ちはわかるけど…」 二人のローカルトークが炸裂する。 スオムス語…なのかな?ブリタニア語じゃないのでさっぱり理解不能だった。 「あのぅ、食堂に…」 積もる話もあるだろうけど、ここは廊下でしかも隊長室のまん前だ。 とりあえず場所を移そうとおずおずと手を上げて進言する。 「あぁ、ごめんごめん、ミヤフジさん」 エルマ大尉が今度はブリタニア語で謝ってくれた。 エイラさんはというと…。 「…あ」 わたしの存在を今の今まで忘れていた、という表情でわたしを見た。…エルマ大尉に抱きついたままで。 慌てて飛び退いて、今度は顔を真っ赤にして言い訳をしだす。 「ミ、ミヤフジ!これはえーとその、懐かしい先輩に久しぶりに会えてちょっと我を忘れたというかその」 「…言い訳なんて聞きたくないもん」 …いつの間にかそんな事を口に出していた。 気づくとぷぅ、と頬を膨らませてエイラさんの方なんか見てもいない。…何も無い廊下の隅をじっと見つめていた。 違うのに。 こんな事言いたくないのに。 「ミ、ミヤフジぃ…」 「…ふんだ」 「あ、あれぇ?」 エルマ大尉がそんなわたし達を不思議そうな、すまなさそうな顔で見ていた。 …なんだか雲の中を飛んでいるように、こころの中にモヤモヤがかかってる。 胸が痛かった。 朝食を済ませて自室に戻るとすぐにベッドに寝転がった。 ネウロイ予報も無ければ訓練の予定も入っていない日はのんびりとしたものだ。 午前の間は全隊員が待機状態という名の自由時間になる。 自由とは言っても予報を無視してネウロイが活動する可能性もあるし、それに備えて自主訓練をするのも良い、とは坂本さんの言葉。 バルクホルンさんはよく自主訓練で飛んでいるのをよく見かけるし、シャーリーさんも自分のストライカーの調整なんかをしている。 要は基地内で待機していれば特に問題は無いということだ。 高い天井を見上げて、朝食時のことを思い出そうとした。 「…ほとんど覚えてないや…」 確かにエルマさんを挟んでエイラさん…と一緒に朝食を食べたはずだ。 いろいろお話しもしたはずなんだけど、なんだかぼーっとしちゃって何を話したのか思い出せない。 自分の分を食べ終わると、わたしはすぐにここに戻ってきてしまった。 みんながお客さんを珍しがって盛り上がる食堂に、なんとなく居づらかったから。 エルマ大尉に引きとめられたけど、洗濯だの掃除だのと用事があるからと言って食堂を出てきてしまった。 「…わたし…嫌な子だ…」 自己嫌悪でうずくまる。胸の奥の方がモヤモヤして気持ち悪い。 「洗濯…しようかな…」 のろのろと起き上がって、まずはお布団を干すためにベッドのシーツを外そうとした。 「…ミヤフジー、いるかー?」 ドアの向こうからエイラさんの声がした。 どきりとして集めかけたシーツを取り落としてしまう。 「え…うん、いるよ」 慌てて返事を返す。 会いに来てくれたのかな?だとしたら、すごく嬉しい。 「入ってもいいかなー、なんて」 「ど、どうぞ」 エイラさんがわたしの部屋に来るのは珍しい。 いつもはもっぱらわたしの方がエイラさんの部屋まで会いに行っているから。 だから部屋に通すと思うとすごく緊張する。 がちゃりとドアを開けてエイラさんが入ってきた。 わたしの部屋が珍しいのかしきりにきょろきょろと部屋を見回していた。 「…んっと…あー…ミヤフジ、まだ怒ってるか?」 入ってくるなりそんな事を聞いてくるエイラさん。 怒っているように見えたのだろうかと考えて、当然だ、と思い直す。 エイラさんがエルマ大尉と仲良さそうにお喋りしていたのを見てからわたしは変になっている。 自分の体と心なのにコントロールができないでいて、つれない態度をとってしまって。 「怒ってなんか…ないもん」 「…ウソつけ。じゃあなんで私の方を向いて喋らないんだよ」 即行で指摘された。 はっとして床の木目から視線をエイラさんに向け直す。 つかつかと、少し怒った顔でわたしの方に歩いてくるエイラさんが見えた。 「だ、だって…」 「だってじゃないよ。どうせ私がエルマ先輩と仲良くしてたからやきもち焼いてたんだろ」 肩を掴まれてぐいっと押されて、視界がぐるっと回る。 「ひゃっ!?」 ばさっ、と背後のシーツが取り去られたベッドに倒れるわたし。 その上からエイラさんがわたしの顔の両脇に手をついて、覆いかぶさるように、押し倒された形になる。 「あ…エイラ、さん…?」 目の前にエイラさんの顔があった。 いつも見てるのに、目を閉じればいつでも思い浮かべられるくらい見てるのに。 今日はいつになく真剣な表情で、どきどきした。 「ど、どうなんだよ」 「だって…いきなりすぎて、不安なんだもん…」 何の前触れもなくエイラさんのむかしを知っている人が現れて。 何の前触れもなく目の前で好きな人がわたしじゃない誰かと仲良くして。 いっぺんにいろんなことが起こりすぎてパンクしてしまいそうだった。 「…なんだよ、バカ」 「ふぇっ…んぅ!?」 突然の謂われない罵倒に目をぱちくりさせる。 その面食らっている隙に、キスで口を塞がれた。 驚いたけれど、すぐに頭がぼーっとなって気持ちよくなってしまう。 ついさっきまで不安で押し潰されそうだったのに…ダメだ、またエイラさんに現金な奴だって言われちゃう。 ほんの数秒の口づけ。エイラさんが離れた時、「…あ」と声が漏れてしまった。 …恥ずかしい。 「私だって…ミヤフジがリーネとか、バルクホルン大尉とか、私じゃない誰かと仲良くしてたら不安になるっつーの、バカ」 「え…?」 顔を真っ赤にしながらエイラさんが言う。 ああそうか。 こんなモヤモヤした気持ちになってるのはわたしだけじゃないんだ。 目の前に居るわたしの好きな人は、そんなモヤモヤに負けたりしないで、わたしを信じてくれていたんだ。 …弱い自分が恥ずかしくなる。 「落ち着いたか?」 気づくと口元が緩んで微かに笑顔になっている事に気づくわたし。 うん、すごく安心して落ち着いた。けど、 「…もっと!」 「うわっ!?」 エイラさんを抱き寄せてぎゅっと抱きしめた。 不思議だった。 真夏のどんな暑い日でもこうやって抱き合いたくなる。 暑いと感じる前に、心の奥がほわっとあったかくなって心地良かった。 「…ったく、ホント現金な奴だよなー」 「えへへー」 やっぱり言われちゃった。 「なんだか楽しそうですね」 洗濯物を干し終わって食堂に顔を出すとエルマ大尉とハルトマンさんがお喋りしていた。 テーブルの上にはハルトマンさんが食べ終わったと思われる食器と飲みかけのコーヒーカップが二つ。 「宮藤おはよー」 「ミヤフジさん用事終わった?」 わたしに気づいた二人が声をかけてきた。 「ハルトマンさんおはようございます。今干し終わったところです、エルマ大尉」 …うん、大丈夫。エルマ大尉と普通に話すことができて少し安心した。 二人の言葉に応答してわたしも手近な椅子に座る。 それと同時にハルトマンさんが席を立った。 「さて、と。ちょっと飛んでこようかなー」 「あ、お邪魔でした?」 わたしが来たから会話が止まったのかと思って焦る。 「んーん、ぱとろーる。宮藤のせいじゃないから気にしないでいいよ」 そう言いながらぐいっとコーヒーを飲み干すハルトマンさん。 「いってらっしゃい、頑張ってきてね」 「じゃ、エルマさんが帰る時に渡すからよろしく〜」 「あ、明日の朝早くに出るつもりだから早めにね!」 「?いってらっしゃい」 何の話だろう。何か約束でもしたんだろうか。 というかいつの間にか仲良くなっていてなんだか意外だった。 「渡すって何をです?」 「ん〜…ないしょ」 う〜ん、気になる。 「あ、そういえばこれから暇かな?ミヤフジさん」 「特に用事は済ませましたし、暇です」 「じゃあ基地の案内頼めるかなぁ?エーリカさんは今から哨戒だし、エイラは夜間哨戒の当番らしいから頼めなくて」 そういえば部屋に帰るエイラさんもそんな事を言っていた。 「いいですよ」 「よかったぁ…他に頼める人が居なくて困ってたところなの!ありがとう」 なんだか非常に喜ばれてお礼まで言われてしまった。 うう…ごめんなさい。ついさっきまでむちゃくちゃ敵視しちゃってました。 「えと、じゃあどこか行きたい所とかありますか?エルマ大尉」 「ただの旅行中の滞在者だし、なんだか堅苦しいから階級はつけなくてもいいよ、ミヤフジさん」 そういえば正式な視察じゃない、と言っていたような気がする。 エルマ大尉の格好も、軍服じゃなくてラフな私服だ。 「じゃあ…エルマさん」 「うん」 優しく包み込むような人懐っこい笑顔。 素敵な笑顔だった。 昼食を挟んで午後のお茶会も終わり、さっそくわたしはエルマさんに基地を案内していた。 「わぁ、この基地にもサウナがあるんだね」 大浴場を案内したあと、脱衣所に貼ってあるサウナの利用時間が書かれた紙を見てエルマさんが言った。 「あ、はい。みんなたまに利用してますよ」 初めてエイラさん、サーニャちゃんと一緒に入った時の事を思い出す。 そういえばわたしはのぼせて気を失っちゃったんだっけ。 そのあと…エイラさんに…。 「ねぇ、入ってみてもいいかな?」 「ふぇっ!?」 悶々とあの時の事を思い出していたから、急に声を掛けられてびくっとなる。 うああ…だらしない顔とかしてなかっただろうか。 「も、もう入れるみたいだから大丈夫じゃないでしょうか」 「それじゃ一人で入るのもなんだし、一緒に入らない?」 「え?」 なんとなく流されて一緒に入る事になった。 まぁもうすぐ夕方だから時間的には少し早いくらいなのでいいか、と思う。 「やっぱり汗をかくって気持ち良いなぁ」 「最初はびっくりしたけど、慣れると熱さが心地良いですよね」 二人で玉の汗を浮かべながら話す。 スオムスという国のこと。 オラーシャの戦況のこと。 ブリタニアという国のこと。 ガリアの戦況のこと。 扶桑皇国のこと。 わたしのこと。 エルマさんのこと。 エイラさんの昔のこと。 エイラさんの今のこと。 いろんなことを話したり、聞いたりした。 「ミヤフジさんってさ、エイラのこと好きなの?」 「ええぇっ!?す、すすすす好きって!?」 いきなり核心を突かれておおいに焦るわたし。 「友達として好きなのか、それともエイラをエイラとして好きなのかってこと。わたしの見立てでは多分後者かなー、なんて」 「ううぅぅ…な、なんでそんなこと聞くんですか…?」 「なんとなく、ね。エイラのこと聞いてくるあなたが熱心で、エイラのことを話すあなたがすごく楽しそうだったから」 そんなに顔に出ていたんだろうか。 エルマさんにすぐ見抜かれたんだから、もしかしたらみんなにもばれてるのかなぁ…。 「う…あの、えっと……好き……です」 「…えっと、もしかしてもう付き合ったりしてる?」 「……はい……」 「おおっと」 顔が熱い。このままじゃまたのぼせて気を失っちゃいそう。 「あ、あははは…そろそろ水浴びいこっか?」 たぶん顔を真っ赤にしたわたしを気遣ってか、席を立つエルマさん。 「まぁ、悪いとは言わないし、本当に好きならいいと思うよ。わたしは」 屋外にしつらえられた水浴び場で汗を流しながらエルマさんが言う。 エルマさんの雪のように白くてしなやかな体に水がまとわりついて、流れていく。 わたしはというと一足先に水場に体を浸けて、膝を抱えてぶくぶくと泡を吹いていた。 「…でも…やっぱりヘンですよね…。女の子なのに、女の子のことを好きになるなんて…」 お互いにちゃんと気持ちを理解していても、やっぱり不安なものは不安だ。 周りの目とかも、怖いし。なによりエイラさんに迷惑をかけたくない。 悶々としていたわたしのすぐ隣の岩場に、エルマさんが腰掛けた。 「優しいんだね。ちゃんと相手のことを考えてるし…どこかの誰かにも言ってあげたい言葉だよ」 「…誰かって?」 聞くと、「あ〜…」とか言いながら宙に視線を彷徨わせるエルマさん。 「あんまり話したくない人…というか人達なんだよね…爛れてるし」 「た、ただれ…!?」 な、なんなのそれ!? わたしがはわはわと慌てていると、渋々、という感じに語りだした。 「…まず、カウハバにアホネンっていう上官がいるんだけどね…」 「ぶっ!!」 思わず吹き出した。 他人の名前を笑うなんて最低だと思うけど、これはちょっと…反則だ。 「ご、ごめんなさい…」 「あはは…やっぱり扶桑の人は笑っちゃうのかなぁ。扶桑から来たわたしの上官も同僚も、初めはそんな感じだったよ」 眉毛をハの字にして困り笑いをするエルマさん。 夏のそよ風に揺れる木の枝を見上げながら続きを語りだす。 「…でね、そのアホネン中佐が女の子大好きでさ。好みの子を手当たり次第に…その…あと同僚にも二人ほど…そういう人が…」 ぼそぼそと言葉尻を濁すエルマさん。 す、スオムスって進んでるの…かな? 「エイラもね、中佐のお眼鏡にかなったらしくてよく追い回されてたよ。中佐が言うにはミステリアスなところがいいとか」 「う、うーん…」 ただ唸ることしかできない。 なんというか…凄い経歴を持ってるんだなぁ…エイラさんって。 「追い回されるたびに同期の子と一緒によく泣きついて来てさ。上官だから強く言えないんだよね…胸を貸してよしよし、ってなでることしかできなかったなぁ」 …なんとなく、あのときエイラさんがしてくれた抱擁はエルマさんの影響なんだな、と思った。 優しくて、困っている人がいればほっとけなくて。 確かにエルマさんみたいな先輩なら慕って当然だと思った。 「いやぁ、それにしてもなんでこう、わたしのまわりには同性愛者が多いのかなぁ」 「うぅ…ごめんなさい…」 「あ!いや、責めてるわけじゃないんだよ!?ただわたしはノーマルっていうか…」 一瞬言葉を切って、風に揺れる水面を見つめながら続ける。 「…今まで心の底から好き、って人がいなかったからノーマルだと思い込んでただけで、もしかしたらわたしもそうなってたかも」 ぱしゃ、と軽く水面を蹴る。傾きかけた陽光が水飛沫に反射してきらきらと輝いた。 「正直、ミヤフジさんたちがちょっと羨ましいなぁ…これから暇になるしわたしもすてきな人を探そうかなぁ…」 「…暇って?」 黙ってエルマさんの話を聞いていたわたしだけど、気になるフレーズを聞き返した。 わたしの疑問に気づいたエルマさんが「ん?」と顔を向けて、 「…わたしね、もうすぐ退役するんだ」 「へぇ…退役………えぇっ!?」 そんな重要なことをあまりにさらりと言うもんだから、聞き流してしまいそうだった。 「エ、エルマさんっておいくつなんですか!?」 「ん?もうすぐハタチ。退役前になって休暇がものすごく溜まってたから、さっさと消化してきなさいって言われちゃってさ…」 あはは、と照れ臭そうに頭を掻くエルマさん。 そんな重要な事をそんな簡単に言ってしまうエルマさんは意外と大物なのかもしれない…。 しばらく笑うエルマさんを見ていたけれど、ふ、と微かに息を漏らして続ける。 「ずっと決めてたことなのにさ…退役していった人達だって何人も見てきたのに…いざ自分も、ってなるとやっぱ寂しいな…」 「エルマさん…」 ふと遠くを見るエルマさん。 その瞳が少し涙に濡れているような気がして、たまらなくせつなくなる。 気づくとわたしはエルマさんの頭を胸に抱きしめていた。 「ミ、ミヤフジさん?」 「…わたしが悲しくて泣いちゃった時、エイラさんにこうしてもらったんです。誰かに抱きしめてもらうと安心するから、って」 「…それって」 「はい。たぶん、エルマさんにしてもらって安心したからわたしにもしてくれたんだと思います」 「あはは…無断使用だ」 しばらく二人で笑いあった。 二人ともほぼ全裸で抱き合っているんだけど、そういう気持ちとかはなくて、ただあったかかった。 抱きしめる、って行為はとても不思議だ。 ひとしきり笑ったあと、少し真面目な顔でエルマさんに話しかけた。 「あの、ひとつだけお願い聞いてもらっていいですか?」 「なになに?あんまり無理なお願いじゃなければ大丈夫だと思うけど」 「少しの間でいいんですけど、一緒に空を飛んでくれませんか?」 …無理なお願いだとは思ったけど、今日を逃したらもう二度とエルマさんとは飛べないと思ったから、お願いした。 意外そうな顔のエルマさんが言葉を返してきた。 「…残念だけど、わたし、ストライカー持ってきてないからなぁ…ストライカー履ける服装でもないし」 「あ…」 肝心な事を忘れていた。 ストライカーユニットが無ければ空は飛べない。 いくらウィッチといえども万能じゃない。ストライカーという魔法の箒に跨って、はじめて空を飛べるんだった。 「…そうでした…」 「わたしもミヤフジさんとブリタニアの空、飛びたかったな…」 二人でため息をついて目の前で揺れる木々を見つめる。 その時、背後から声が掛かった。 「あれぇー?ミヤフジと先輩が仲良さそうにしてる」 「…芳佳ちゃん…その人がエルマ大尉…?」 二人で振り向くと、目覚めのサウナ上がりと思われるエイラさんとサーニャちゃん。 「「…これだ!!」」 エルマさんと二人で顔を見合わせて、手を叩きあう。 「…??」 「な、なんだよ?」 エイラさんとサーニャちゃんは不思議そうに目をぱちくりさせていた。 「今日だけですからねー?」 エイラさんがエルマさんの脱いだジーンズを畳みながら言う。 それに応えてエルマさんが笑った。 「あはは、その口癖まだ直ってないんだ」 「うぇ…!?あ、うーん…」 エルマさんの言葉に「やっぱり口癖だったんだ」ってサーニャちゃんと一緒にくすくすと笑った。 「…二人とも聞こえてんぞー…」 「ご、ごめんごめん」 「エイラ…面白い…」 「むうぅぅぅ…」 エルマさんがエイラさんのストライカーユニットを履いている。 そのスオムスカラーに塗られたカールスラント製のストライカーユニットをエルマさんはメルスと呼んだ。 澄んだ綺麗な名前だと思った。 「うん…問題ないかな…やっぱりここは優秀な整備士さんが揃ってるねぇ」 ぴょこんと耳と尻尾を発現させてエルマさんが感想を漏らす。 頭に控えめに生えた小さな耳が可愛らしかった。 「ごめんね、エイラさん。哨戒前なのにストライカー借りちゃって」 「ミヤフジとエルマ先輩の頼みを断れるわけないじゃん…ま、なんか面白そうだしさ」 「うん…ありがとう」 二つ返事(?)でストライカーユニットを貸してくれたエイラさん。 しょうがないわね、と言いながらも飛行許可を出してくれたミーナ中佐。 みんなすごく優しくて感謝してもしきれない。 「それじゃ、行こうかミヤフジさん」 「はいっ!」 エルマさんと一緒に、夕焼けで紅く染まる空へ飛び出した。 翌朝、早朝。 正門前にわたしと哨戒から帰ったエイラさん、サーニャちゃん、それとこれから帰路につくエルマさんが立っていた。 他のみんなはまだ寝ている。 エイラさんは大丈夫そうだけど、サーニャちゃんは今にも眠ってしまいそうなほどふらふらだ。 「眠いなら寝ちゃってもいいんだよ?リトヴャクさん」 「そ、そうだぞサーニャ。我慢は体によくないし…」 「…見送ります…私、ほとんどお喋りできなかったし…」 目を擦りながら必死に眠気を払おうとするサーニャちゃんがいじらしい。 「そっか…ありがとう」 お礼を言ってサーニャちゃんを優しく抱きしめるエルマさん。 ふわりと抱きしめられたサーニャちゃんが気持ち良さそうに目を細める。 「…お母様…みたい…」 そう言って、限界だったのかふっと力が抜けて安らかな寝息が聞こえてきた。 どうやら限界だったらしい。 「…ど、どうしよう…」 眠ったサーニャちゃんを抱いたままおろおろとわたし達を交互に見るエルマさん。 「しょうがないな、サーニャは」 笑いながらエイラさんがサーニャちゃんを受け取って、肩を抱いた。 わたしもサーニャちゃんを挟んで倒れないように支える。 「…割とお似合いのカップルかもね」 「うぇええ!?」 その様子を見たエルマさんが言う。 それを聞いたエイラさんが驚いてサーニャちゃんが倒れそうになったので、慌ててわたしが支えた。 「ミ、ミヤフジ…言っちゃったの?」 「あ、あはははは…」 たらりと汗を流すエイラさんに睨まれる。…言い訳できない…。 「昨日の朝に隊長室出たときの反応でバレバレだよ〜エイラ」 「ぐ…」 痛いところを突かれて言葉が出なくなるエイラさん。 さすが先輩。扱い方の勉強になるなぁ…なんて。 「エ、エルマ先輩っ!頼むからアホネンとかカタヤイネンには内緒に…」 「心配しなくても言ったりしないよ〜」 そう言われてほっと胸をなでおろすエイラさん。 エルマさんは言いふらすような人じゃないけれど、わたしも少し安心する。 「それじゃ、お元気で」 「うん…でももうちょっと待って…エーリカさんがまだ…あ、来た!」 振り返ると基地からたたた、と小走りで駆けて来るハルトマンさんが見えた。 「…ハルトマンさん?」 「なんでハルトマンが?」 エイラさんと一緒に疑問符を浮かべる。 というかハルトマンさんがこんな早い時間に起きていること自体が意外だった。 「…っと。よかった〜間に合ったぁ」 手には少しシワが寄った簡素な封筒。 息を整えてからエルマさんにそれを渡した。 「じゃ、よろしくね」 「うん、確かに受け取りました」 その様子を見てさらに疑問符が増えた。 「…手紙?」 「…珍しい事もあるもんだ」 とりあえず二人で顔を見合わせてそう言った。 手紙を大事そうに仕舞うエルマさん。 「それじゃ、もう行くからね」 言って大きな旅行かばんを持ち上げるエルマさん。 「いろいろ話が聞けてよかったです。お元気で」 と、わたし。 「帰ったらまた会いに行きます、先輩。カタヤイネンによろしく」 と、エイラさん。 「あっちの話、結構面白かったよ」 と、ハルトマンさん。 寝息を立てるサーニャちゃんも加えて4人の顔を見回したあと、大きく手を振って門の外に止めてあるミーナ中佐のジープまで歩き出した。 「みんなじゃあね!ミヤフジさーん!最後に飛べて良かったよー!」 「エルマさんもありがとうございましたー!!」 わたしはジープが見えなくなるまで手を振っていた。 煙を吐きながら遠ざかるジープを見送ったあと、わたしは呟いた。 「優しくて素敵な先輩さんだね」 「まーね。スオムス時代には世話になったよ」 「…わたしもあんな人になりたいな…」 「なれるよ。先輩とミヤフジはなんだか似てる。…だから好きになった、ってわけじゃないけどさ」 「エイラさん…」 少し潤んだ目で見つめ合う。 「はいはい。イチャイチャは部屋でやってよね」 「「わぁっ!?」」 にやにやとわたしたちを見ながらそう言った後、踵を返して基地の方へ歩くハルトマンさん。 「ホント所構わず盛るのも大概にしといたほうがいいよ〜」 「さ、盛ってません!」 「つかヘンな言い方すんなー!」 「あんまりでかい声出すとサーニャ起きちゃうよ〜」 「う…ちくしょー」 「ハルトマンさん、さっきの手紙って誰宛てなの?」 エイラさんにサーニャちゃんを負ぶさらせながら聞く。 「内緒〜」 「ていうかカウハバに知り合いなんているのかよ?」 「内緒〜」 「え〜、教えてよ〜」 「眠いから朝ごはんまで寝る〜」 そんな朝の基地の光景だった。 エルマさんとかアホネンさんの階級は完全に妄想です。 何度もエイラとエルマの名前を間違えかけた。ヤヤコシイネン。