雨音にまじって聞こえてくるエンジンのアイドリング音で目が覚めた。 隊のみんなが帰って来たみたい。 大丈夫だったかな、みんな。 頭がまだぼんやりしてたけど、のそのそと体を起こして、 ブリーフィングルームでみんなを待とうと立ち上がった。 エイラ、大丈夫だよね。 被弾しないのが自慢だもんね。 不安で高鳴る胸を抑えようと、わざとゆっくり歩いた。 任務の都合上、私だけネウロイとの戦いに出撃しないという事がたまにある。 つまり、その日もそうだった。 その日の朝、私は夜間哨戒を終えて、いつもみたいにエイラの寝ているベッドに倒れこんだ。 エイラには悪いと思うんだけど、私一人じゃあの部屋は広すぎる。 エイラが「…今日だけだかんな」って許してくれるのを聞くのが好きだから。 エイラの暖かさを感じられる場所では、安心して眠れるから。 眠りに落ちて、何時間ぐらいだろう。 いきなりその安心を打ち破るサイレンが鳴り出した。 ネウロイ接近の合図。 エイラと一緒に飛び起きて、ブリーフィングルームに向かった。 雲のせいで太陽が見えなくて、時間はわからずじまいだった。 「敵は恐らく少数、かなりの低高度で高速で接近中。同時に少し離れた地点に陽動と思われる機影が多数。  前にリーネさんが初戦果をあげた時のと状況が似てるわね」 「前と同じ戦法とは、舐められたものだな」 「ええ、ただ全く同じとは限らないわ。また何かワナがないとも限らない、各機柔軟な行動を心がけるように」 ミーナ中佐と坂本少佐がてきぱきと作戦を立案、それを隊員に伝えていく。 「サーニャ、大丈夫か? まだ疲れてないか?」 他のみんなが慌ただしく準備にかかっているのを見ていたら、横のエイラが覗き込んできた。 「まだ魔法力も回復してないでしょうし、今日の夜もサーニャさんにお願いするシフトになってるし…。  私たちが首尾よく相手を全滅させられたらいいんだけどね」 ミーナ隊長がこちらに近づいてきた。 「あ、あの…ごめんなさい、哨戒で接近を見逃していたのかも知れません…」 「いいえ、今回は敵の規模がそこそこ大きいし、貴女がこれに気付かないのもおかしいわ。  敵の現在地や進行速度を考えても、夜間哨戒から帰投後に行動を開始したと考えるのが自然よ」 そう言ってくれた。 隊長はきっと、事実を知って一番安心できるっていう状況でそれを与えてくれる。 逆に事実が不安をもたらすなら、それは出来るだけ隠そうとしてくれる人だ。 「サーニャさんは休養を。これは任務よ。安心して私たちに任せて」 うん、たぶん今私が飛んでも、活躍はおろか足を引っ張ってしまうかも知れない。 それはわかっているけど、罪悪感はどうしてもある。 「はい…ごめんなさい…」 「いーからいーから! なんなら私の部屋で休んでてもいーぞー」 エイラは爽やかに笑ってそう言ってくれた。 これから戦闘が行われて、誰かが怪我…誰かが命を落とすかも知れない。 そんな時に休めというのもなかなか難しい事を、エイラも隊長もわかってくれてる。 だから、こんなに優しく言葉をかけてくれるんだ。 「うん…エイラの部屋で待ってる…」 「う、うェ!?」 たぶん不安もエイラの部屋でエイラを感じていれば和らぐと思って、素直にそう言った。 言い出したエイラが一番慌てていて、かわいかった。 これならゆっくり眠れるって思った。 外では雨が降り出していた。 「いやーまたカールスラント組にスコア稼がれちゃったなー」 「へっへー、それほどでもー」 「調子に乗るなハルトマン。シャーリーの高速機動で相手の進路を誘導する事が出来た。随分助かったよ」 どやどやとみんながブリーフィングルームに戻ってきた。 …うん、誰も怪我してない。全員、エイラもいる。 静かにホッと溜め息をついた。 「ありゃサーニャ、ちゃんと寝たのか? 休んでても良かったのに」 私の隣にエイラが腰掛ける。 「うん…大丈夫、起きちゃったから…」 返事をした時に、隊長の凜とした声が響いた。 「はい、みんな静かに!」 「今日は比較的スムーズにネウロイを撃退できました。みんな、ご苦労様。  …ただ、やはり前回の襲撃とパターンが非常に似ていた事が気になります」 「まだ何か仕掛けてくる、という事か?」 「可能性としては。  ただ、前回は相当基地に肉薄された、という点を相手も認識しているとしたら。  今回こそは、という思惑だったのかも知れない」 「まぁ、うん、前回は…ちょっと危なかったな。失態だった」 坂本少佐が言葉を濁す。 実際ネウロイは、いまだ「なんだかよくわからない」という認識が一番ぴったりくる。 対策も立てにくい、と思う。 「現状ではここで気を緩めるわけにはいかない。そこで当面、これから12時間は警戒態勢を取ります。  今日組んだロッテが二組交替で休息を取り、最低四人は基地内ですぐ発進できる状態にしておく事。  それと、サーニャさん」 「は、はい」 急に呼ばれて少しびっくりした。 緊張感のある場なので眠くはないけど…いや、やっぱり少し寝たりないのかも知れない。今日の睡眠はすごく途切れ途切れだった。 「悪いけど、今晩も夜間哨戒をお願いします。他の隊員の戦闘態勢維持のため、一人で。  何かあったら即座に連絡をお願い。その後敵を捕捉しつつ一時撤退、基地から上がった隊員と合流後援護に」 「了解しました」 うん、それは私の任務。 私にしか出来ない任務。 そう、わかってはいる…けど。 交替して休む隊員のシフトを細かく指示し始めた隊長の声を耳にいれながら、 私はさっきの溜め息とは真逆の、重い息を吐いた。 空は一面の暗い雲に覆われて、世界は真っ暗になっていた。 雨は少しずつ強さを増し、雨が地面を打つ音が響くほどになっていた。 「くれぐれも無理はダメだぞー? なんかあったらすぐ行くから。一人で相手しちゃダメだぞ?」 滑走路までエイラがついてきてくれた。 いつもは過保護なんだから、と少し照れくさくもあるんだけど、今日は…嬉しい。 「…うん。わかった」 そう呟くと、私は静かにエイラの手を取った。 「わっ、え、え? さ、サーニャ?」 必要以上に慌てるエイラ。ごめんね。 でも、飛び立つ前に、エイラの温もりが欲しかった。 まだ握っていたかったけど、滑走路の灯りが点った。 「じゃ…行ってくるね」 まだ慌ててるエイラから視線を切り、手を離して、私は夜の空に飛び出した。 全身が激しく雨に打たれ、それでも上昇を続け、 雲の中に突っ込んで、体がずぶぬれになって、 そして私は雲の上に出た。 途端に全ての音が消えた。 今まで耳を打っていた雨の音も消えて、 私は世界に一人放り出されたような感じを受ける。 私は、こんな雨の日に一人で飛ぶのは嫌いだ。 怖い。 心の底から怖い。 私の下に広がる雲はどこまでも続いて、不安定な高低差を作り、まるで自分が地面ですよと言っているみたいで。 それはつまり、エイラ達、お父様やお母様のいる地上を食べてしまっているみたいで。 この世で私一人だけが違う世界に来てしまった、 今までの世界に見放されたような気分になる。 晴れている日…いや曇っているぐらいなら、私の魔法でどこか遠くの無線を拾ったり、ラジオも聞いたりできるから まだ寂しさは薄れるのだけれど、 雲はまだしも雨だとどうしてもノイズが混じってしまう。 大して距離のない基地との通信ですら完全にクリアな通信にできない。 そんなノイズは、さらに私と地上との距離を感じさせるので、 ますます不安は膨れ上がる。 だから、聞かない。 完全に音のない世界で、 私はネウロイにだけ意識を集中しようとする。 むしろ来てくれ、とさえ思っていたかも知れない。 来てくれたら、私は地上に戻れる。 来てくれたら、私はエイラに会いに行ける。 戦闘になれば、誰かを失う事にだってなってしまうかも知れない。 不謹慎だとはわかっている、んだけど。 それでも、この広すぎる空には、私は小さすぎる。 結局、ネウロイは現れなかった。 基地に帰投して、隊長に報告をした。 なんだかすごく心配された気がする。 そんなにひどい顔になってたのかな、私。 私は、私の知ってる人が待っててくれた事にただただ安心しきっていた。 ふらふらとエイラの部屋に向かう。 こんな日は、一人で寝るなんて無理。 エイラもわかってくれて、部屋の鍵はかけないようにしてくれている。 音を立てないように慎重にドアを開ける。 寝てるかも知れないから。 というか、たぶん寝てる。 隊長に報告しに行った時に、 すぐ飛び立てるようにブリーフィングルームで待機してる4人… ハルトマン中尉とバルクホルン大尉、ルッキーニ少尉とイェーガー大尉がいたから。 他の人は休んでおかないといけない。それが任務だから。 「おかえりー、サーニャ」 でも、エイラは起きててくれていた。 ベッドに腰掛けて、こっちに手を振っている。 もしかしたら、とは思ってた。 期待もしてた。 でも、やっぱり嬉しくて。 エイラがいなくなってなかった事に心から安心して。 「…ん、んぐ、…うぇっ、うえぇぇ…!」 私は涙がこらえきれなくなって、エイラに駆け寄ってすがりついた。 「え、ちょっと、あの、サーニャ!? サーニャ大丈夫か!?」 ごめんなさいエイラ。少し収まりそうもない。 そんな言葉も言えず、私はエイラに顔を埋めて泣き続けた。 エイラが私の背中を優しくさすってくれている。 その温かさがまた嬉しくて、少しずつ落ち着いていける気がした。 「サーニャ、雨の日の哨戒は嫌だって言ってたもんな」 「…うん、えぐっ」 「怖いよな、地上も見えないし」 「う、ふぐっ、ん」 「私も見送った後、不安になるんだ」 「…ひっく」 「雲にサーニャが食べられたみたいでさ」 「わ、わた、し、も、うぇっ、えいらが、みえなく、なって」 「うん」 「ま、まほう、でも、こえ、あんまり、のいずが、まじっ、て」 「うん、ごめんな」 「う、ん…」 「私はサーニャを一人にしたりしないから。今度からは一緒に飛ぼう、な?」 「…ご、ごめ…ごめ、なさ…」 「謝らなくていいよ、私こそ本当にごめんな」 しゃくりあげながら言葉にならない声をあげる私を、 エイラはずっと優しく慰めてくれた。 ひとしきり涙を流すと、だいぶ落ち着いた気分になれた。 さっきまで本当に寂しくて、今は本当に安心して、 感情を大きく上下させた私は 床にぺたんと座り込んで少しぼーっと放心した。 「うっわぁかわい…じゃなくて! えっと、おお落ち着け、落ち着いたかサーニャ?」 さっきまでの優しい口調とはうってかわって、急に慌てた調子になったエイラが言った。 あぁ、いつものエイラだぁ。 優しいエイラもかわいいエイラも大好きだから、笑って「うん」って返事した。 エイラの鼻から血がひとすじ垂れてきた。 「ど、どうしたの? 大丈夫…?」 「ひやひやなんれもない。らいよーぶらいよーぶ」 真顔のまま鼻にティッシュをつめるエイラがとってもおかしかった。 「12時間は経ったけど…何の音沙汰もありませんでした。  これ以上時間を空けての攻撃には波状効果も望めないし、ひと段落と見ていいでしょう。  警戒態勢を解除します。改めてみなさん、ご苦労様」 改めてみんなを集めた上で、ミーナ隊長が言った。 昨日からみんなの間で張り詰めていた空気がゆるんだ。 と、思ったらいきなり隣のエイラが立ち上がった。 「え、えっと! ちょっといいかな」 「ど、どうしたの? エイラさん」 隊長も突然の事に少し気圧されている。 「えー、やっぱ、アレだ。哨戒任務が一人っての、かわいそ…じゃなくて! あ、危ないと思うから!  特にほら、雨降ってたりすると風邪とかさ、いや魔法で寒くはないけどさ、でもやっぱほらアレだから、  つまり、だから、そのー…」 え、エイラったら…! みんなの顔にははてなが浮かんでるけど、私の顔はどんどん熱くなってくる。 「うふふ、その事については私も配慮が足りませんでした。あんな顔見せられちゃ…ね。反省してるわ。  今後の哨戒任務は可能な限り二人以上で行うようにしたいと思います。  また雨天時は索敵・通信精度共に落ちるので、危険性を鑑み更に徹底します。…これでいいでしょ?」 隊長がにっこりと微笑んだ。 「あ、ありがと! よしサーニャ、今度からは一緒…に……」 エイラが大声で喜んだものの、その語尾はどんどん消え入りそうに小さくなっていく。 私は…もう、恥ずかしくて固まってしまった。 ひゅーひゅーと冷やかしてくるルッキーニさんとハルトマンさん。 その二人を止めようとしてるバルクホルンさんとシャーリーさん。 顔に手を当て微笑んでいるミーナ隊長。 うんうん!と力強く頷く坂本さん。 ペリーヌさんはじっと坂本さんを見てる。一緒に哨戒したい…のかな。 芳佳ちゃんがこっちに来て、「また私も夜の空に連れていってね!」って言ってくれた。 リネットさんも「わ、私も! その時は私も!」って立ち上がった。 そんな賑やかなみんなを見ていると、 これからはどんな空でも私はみんなと一緒にいる、と信じられる気がしてきた。 もちろん私の一番大切な人とも。 「ごごごごごめんサーニャ…こ、こんなつもりじゃ…いやうんサーニャとは一緒に飛ぶつもりだったんだけどその」 その人は隣で顔を真っ赤にしたまま呟いている。 他の人が大きく動揺してるのを見ると、不思議と自分は冷静になれるものらしい。 だから私は、自然と恥ずかしさも消えて、自分の素直な気持ちを言葉に出来た。 「ううん、ありがとう、エイラ。本当にありがとう」 今度から一緒だよ。 これからもずっと一緒だよ。