帰還 エイラさんはあの夜、サーニャちゃんと一緒に帰還しなかった自分をしきりに責めていました。 サーニャちゃんとロッテを組んで夜間哨戒任務を遂行中、 エイラさんの左飛行脚の魔道エンジンの回転数が異常な数値まで低下しました。 原因はわかりませんでした。 司令部のミーナ中佐がエイラさんに帰投命令を出しました。 エイラさんは、サーニャちゃんを残して帰還することを嫌がりました。 夜間の単独飛行が危険であることは当然でしたが、 エイラさんにとってそれがもっと重大な意味を持っていた事は、今では私にも痛いほどわかります。 しかしサーニャちゃんは、エイラさんを上官として帰投させました。 「わたしたちが二人とも帰還してしまったら、今この空を見ているウィッチはいなくなってしまう。 その間にネウロイが侵攻してくるかもしれない。ネウロイはその瞬間を狙っているのかもしれない。 エイラの代わりを呼ぶとしてもこの空域では時間がかかりすぎる。 だから私は一緒に帰還するわけにはいかないの。それはあなたにもわかっているはずでしょ? 大丈夫、二人で飛ぶっていう事はこういう事態にも備えてるということもあるのよ。 あなたは帰投して、エイラ少尉」 サーニャちゃんは笑ってエイラさんにそう言ったそうです。 エイラさんは何も言うことができませんでした。 エイラさんは単独で帰投しました。 基地まで十数キロの地点まで到達したとき、魔道エンジンの異常が消えました。 その瞬間、エイラ少尉は、ネウロイが狙っていたのは二人がいなくなることではなく、 サーニャちゃんがひとりになることであることを悟ったのでした。 エイラさんは司令部の制止を振り切って二人のいた空に戻っていきました。 数分後、連合軍第501統合戦闘航空団のウィッチ全員が空に上がりました。 私は芳佳ちゃんとペリーヌさんと一緒にサーニャちゃんをさがしました。 あまりにも広い空の中で女の子一人をさがしだすという行為自体が儀礼的なものであることは、 芳佳ちゃんですらわかっていたようでした。 坂本少佐はエイラさんの気が済むまで捜索に付き合っていたようでした。 夜が明けてお昼になった頃、魔法力を使い果たしたエイラさんは坂本少佐とミーナ中佐に抱えらえて帰投しました。 同じような事が三日間続けられましたが、ユニットの残骸といったものも見つけることはできませんでした。   ◆              ◆              ◆ ミーナ中佐がサーニャちゃんを未帰還者として処理してからも、 エイラさんはサーニャ中尉をさがしていたに違いありません。 夜間哨戒飛行斑には、芳佳ちゃんとわたしが新たに加わることになりました。 エイラさんは、少なくとも私たちが見ている前では、決して悲しんでいるような素振りを見せることはありませんでした。 ぱっと見た感じでは芳佳ちゃんの方が落ち込んでいるように見えたし、 エイラさんはそんな芳佳ちゃんを元気づけようとすらしていました。 「サーニャもわたしも軍人だ。こういうときの覚悟はできてる」 エイラさんは私たちに言いました。 しかしサーニャちゃんがいなくなったあの夜から、エイラさんはタロットを持ち歩かなくなっていました。 あの夜、サーニャちゃんの未来を見ることが出来なかったことで エイラさんは自分の能力に対して信頼を失ってしまっていたのだと思います。 夜間哨戒飛行の巡回コースには必ずサーニャちゃんがいなくなった空域が組み込まれていました。 わたしたちがそこへさしかかると、エイラ少尉は飛行限界高度ギリギリまで高度を上げ、 エンジンを停止してゆっくりと海面まで滑空し、 もしかしたら聞こえてくるかもしれないサーニャちゃんの歌に耳をすませました。 私と芳佳ちゃんは、エイラさんの邪魔にならないように、その時だけ少し離れて飛びました。 これは三人だけの秘密でした。   ◆              ◆              ◆ 二ヶ月ほどそういった任務を続けていました。 その夜、私と芳佳ちゃんは、いつもの空域の近くでエイラさんが滑空を終えて戻ってくるのを待っていました。 エイラ少尉が戻ってくるはずの時間がいつもより大幅に遅れていたので、 私と芳佳ちゃんは様子を見に行くことにしました。 エイラさんは、低空をホバリングして私たちを待っていました。 エイラさんは私たちに、飛行脚の出力を抑えろと言いました。 「見えるか、あそこ。雲の向こうだ。見逃しやすい。 数十秒ごとに赤光斑が点滅してる。巣に報告してるんだ」 私にも見えました。 そのネウロイはものすごく高く、私たちが空と呼んでいる場所のもっとずっと上を飛んでいました。 私は視力には自信がありましたが、それでもそのネウロイの輪郭がわかる程度でした。 それは細長い胴体から定規のように長い主翼が真っ直ぐに伸びて、トンボのようでした。 「まるで私たちを見ているみたい…」 「あれは夜間哨戒のつもりか?わたしたちのマネでもしているのか」 エイラさんの顔が険しくなりました。 それはサーニャちゃんの能力そのものでした。 ネウロイがサーニャちゃんからレーダーの能力を奪った、私たちはそう考えました。 それは大きな間違いだったのですが。 私たちは司令部のミーナ中佐にネウロイのことを報告しました。 ミーナ中佐からは援軍が到着するまで出来る限り足止めしなさい、と返事がありました。 「リーネ、あれのコアを狙撃できるか?」 とエイラさんは私に尋ねました。 いくら私でもあの距離は無理です、限界高度まで上がっても射程にはぜんぜん届きません、と私は言いました。 エイラさんは私の後ろに回り、私の左肩に手を置いて言いました。 「ミヤフジの無駄にたくさんある魔力を利用しろ。 ここからでも狙撃できる。照準はわたしの能力で補正すればいい」 芳佳ちゃんは静かに私の右肩に手を置きました。芳佳ちゃんの左手はじっとりと湿っていました。 不思議な感じがしました。 1分ほど後の未来までの、ネウロイと私たちの間の気流、気圧、温度、ネウロイの軌道と私のボーイズMK.Iの弾道、 弾丸の炸薬量とわたしたちの魔力の波動といったものが、空に映写機で投影したように私の目に飛び込んできました。 意識を集中すればするほど私の目はネウロイに近づいていきました。 だんだんと、影にしか見えなかったものが立体的になり、その表面の模様などが見えていきました。 ネウロイのコアと思われる部位を突き止めたとき、見覚えのある哨戒レーダー魔法陣が小さく発現しているのが見えました。 感覚を共有していたエイラさんがサーニャ、と小さく叫びました。 しかしその瞬間、私は反射的に引き金を引いていました。 三人の魔力で増幅された対装甲ライフルの反動は、私に触れていた二人をはじくように引き離しました。 漆黒の半球に戻った空を、赤熱した13.9mm弾がわずかに弧を描きながら駆け上がり、 それは地上から落ちていく流れ星のように見えました。 そして、それはネウロイに命中したのです。 ネウロイは爆発も崩壊もせずに、ゆっくりと壊れながら墜ちていきました。 それが落ちていく先には私たちの基地がありました。 私と芳佳ちゃんは狂ったように飛ぶエイラ少尉を追いかけながら、帰投しました。 ネウロイは砂浜に不時着していました。 私たちが駆けつけたとき、オレンジ色の潜水服のようなものを着た技術班の人が大勢いて、ネウロイを取り囲んでいました。 少し離れたところに、ペリーヌさんが立っていて、私たちを引き留めようとしました。 来てはだめ、とペリーヌさんはうわずった声で私たちに言いました。 エイラさんがその言葉を聞き入れるはずはありませんでした。 エイラさんは人垣を押し分けて──興奮したウィッチを力で抑えることは大人の男の人でも無理です──、 ネウロイの残骸に駆け寄りました。 私と芳佳ちゃん、ペリーヌさんもエイラさんの後を追いました。 ネウロイには外側に咲いた朝顔のような穴と、その反対側の隔壁に握り拳ほどの大きさの穴が空いていました。 そこに誰かが上半身をもぐり込ませ、写真を撮ろうとしていました。 フラッシュが放ったマグネシウムの閃光に照らされて、 ネウロイの内部に白い紙で包んだのブーケのようなもの落ちているのが見えました。 ペリーヌさんが両手で口を押さえて座り込みました。 その指の間からクリーム色のペーストがはみ出して地面に落ちるのを見て、 ブーケに見えたものが、わたしが撃った弾丸にひきちぎられたサーニャちゃんの脚であるということを、わたしはようやく理解しました。 エイラさんは撮影していた男の人を引き倒し、穴の中を覗き込んでサーニャちゃんの名前を叫びました。 ネウロイの内部は、銀と黒の混じった色をしたミミズのようなものがぎっしりと詰まっていて、 エイラさんはサーニャちゃんの名前を叫びながらそれを素手で掻き分けました。 エイラさんの白い手は、重油のようなネウロイの体液でどす黒く汚れました。 そしてその奥から、エイラさんはサーニャちゃんの上半身を引きずりだしました。 糸の切れた人形のようでした。力の抜けた頭が天頂を見上げ、支えるものを失った両腕が肋骨の下で交差していました。 胴体の下から垂れ下がっているものを見て、わたしはカールスラント料理の血のソーセージを思い出しました。 見るな、とエイラさんが叫びました。頼むから見ないでやってくれ、と。 サーニャちゃんの剥き出しの白い背中に、電信用の海底ケーブルのようなものが無数にねじ込まれていました。 エイラさんはサーニャちゃんの腕ほどの太さがあるそれをすべて引きちぎりました。 ケーブルは根元からは外れずに、中程から千切れました。 ぬらぬらした黒い皮膜が破れ、中から出てきた黄色と白のパスタのような繊維の束が現れました。 それがプチプチと千切れるたびに、サーニャちゃんの背中と首、両腕が弾かれたように痙攣しました。 エイラさんはそれを抑えようとしました。 すべてのケーブルを取り除くと、エイラさんは着ていたジャケットでサーニャちゃんの上半身を包み、抱き締めました。 そしてその場にうずくまり、長い間じっとして動きませんでした。 坂本少佐は整備班を現場から一度待避させました。   ◆              ◆              ◆ サーニャは帰ってきたんだ、と坂本少佐は私に言いました。 「お前達がサーニャを狙撃したとき、サーニャはお前達を補足していたはずだ。 しかしサーニャは回避しなかった。 サーニャはお前達に撃墜されることを望んでいたんだ」 明朝、サーニャちゃんはカールスラント軍に引き取られていきました。 エイラさんは、どういう訳か今でも黒猫の使い魔の波形を捉えることがある、と言います。 でもそれはずっとずっと遠く、南半球のずっと向こうから感じられるだけで、 どこにいるのかはまったくわからない、ということでした。