よしこ×エイラSS 「狐の冬」 エイラ視点 あっという間に過ごしやすかった秋も過ぎていって、ここブリタニアもそろそろ冬の気配を感じるようになってきた。 スオムスに比べればなんてことはないけれど、一年以上も暮らしていれば体の方が慣れてしまってたまに寒さを感じたりもする。 いや、まぁそんなのは毎年の事なんだから些末な事で、重要なのはここ最近の私の体調の変化だ。 だるくはないし、魔力も不安定になるどころか普段の倍くらいの勢いがあるから病気ではないんだろう。 医務室で診てもらっても、ウイルスや病原菌等の心配は無いとのことだ。 けど、体が火照って熱っぽい。夜になかなか寝付けない。眠りが浅いから妙にイライラする。変な夢まで見てしまう。 いや、それこそ些末な事だ。それよりもなによりも……恐ろしい事に、ミヤフジの事を見ているとなんか、こう……ムラムラする。 性欲……なんだろうか。よくわからないけど、とにかくミヤフジの姿を視界に収めるだけで私の体は急激に異常をきたすのだ。 息が荒くなり、動悸が激しくなり、鳥肌が立って、下腹の奥の方が熱くなって、目尻に涙まで浮かぶ。 おかしい。変だ。異常としか言い表しようが無い。 ……そんなわけで、今も私は彼女に襲い掛かりたくなる葛藤と必死に戦っていた。 「……っく、ふ」 「あの……おはよう?」 「……お、おはよ……っは」 廊下の真ん中で、毎朝交わされる挨拶。 たったそれだけですら、満足に返すことができない私。……ホント、一体どうなっちゃったんだよ。 正体不明の体の疼きを抑えつつなんとかミヤフジに挨拶を返して、蹲りたくなるほどがくがく震える手足を叱咤した。 起きぬけの朝一番からこんな調子でどうするんだ。一日はまだはじまったばかりだというのに。 「だいじょうぶ?ここのところずっと体調悪そう」 私の視線の少し下から心配そうに見上げてくるミヤフジ。……顔を直視できない。目が泳ぐ。 恐らく真っ赤な顔をして、時折呻き声まで上げている私を気遣ってか、ミヤフジがすっと額に手をかざした。 私のそれよりも少し小さな手の平が、触れる。 「ンひっ!?」 髪の毛の先に触れられただけで、ぴりぴりとした妙な感覚が体中を駆け巡った。 普段の私からは想像もつかない声を上げて、ばたばたと騒々しく飛び退く。息は依然はぁはぁと上がったままだ。 よろよろと壁にもたれかかった私を、呆気に取られたような表情のミヤフジが見つめていた。 「え、あの……だいじょうぶ?」 「だ、だだっ大丈夫!ちょ、ちょっと熱っぽいだけだと思うから!」 大丈夫じゃない。全っ然大丈夫じゃない。毛先に触れられただけでこんな過敏な反応だ。 もし肌なんかに触れられてしまったら溶けてしまうんじゃないだろうか。私が。 どうにかこうにか取り繕って、なんてことないってことを主張する。 廊下の真ん中で真っ赤な顔で壁に寄りかかって「なんてことない」なんて痩せ我慢もいいとこなのだけど。 「熱っぽいって……だめだよ、ほら医務室行こう!」 ああ、案の定だ。私の目の前の彼女は何より他人を優先して、人一倍健康に関して敏感な診療所の娘だったんだ。 声を上げる暇もなく距離を詰められて、体調不良で動きが鈍っている私は簡単に捕らえられてしまった。 「っふ、あッ」 腕を強く掴まれて引っ張られる。 思わず上がった声の艶っぽさに、自分でも驚いた。ど、どこから出したんだあんな声……。 見るとミヤフジも驚いたというような顔で振り返り、私の顔を見つめていた。 計らずも、視線と視線がぶつかった。 くりくりとした、髪と同じ色をした瞳がじっと私を見上げている。 ぶちり、というまるで急にラジオのスイッチを切ったような耳障りな音が、どこかから聞こえた気がした。 「……ミヤフジぃ……」 何かを懇願するように、よろよろと顔を近づけた。 助けてよ、治してよ、ミヤフジ。最近の私の体はどこかがおかしいんだ。きみを見てると、何かがヘンになるんだ。 この胸のドキドキは愛とか恋とかとは明らかに違ってて、何かこう、もっと動物的なドキドキなんだ。 嫌なのに。ミヤフジをそんな目で見たくなんてないのに。なのにそんな思いとは裏腹にこんなにもドキドキしてて、気持ちが抑えられないんだ。 急接近されてあたふたと狼狽するミヤフジ。けれど私の勢いは止まらなくて、掴まれていない方の腕でミヤフジの肩を壁に押し付けた。 「ひゃ……!?ど、どうし、んむっ」 何かを言いかけたミヤフジの口を、無理矢理に塞ぐ。 勢いがつきすぎていて、お互いの歯がぶつかってかちりと音を立てた。少し、痛い。 掴まれた腕を振り払う。そのまま腕を背中に回して硬く抱き締めた。ミヤフジの小さくて柔らかな体に食い込むくらいに、強く、鋭く。 もう自分が何をしているのかわからない。ただひたすらに、抱き締めて、舌を絡めて、吸って、ミヤフジのカラダを求めて、貪って。 「や……んあ」 か細い抵抗の声。違う、違う、そうじゃないんだ。 私だってこんな事はしたくないんだ。……けど体が言う事を聞いてくれないんだ。 「ごめ……んむ、あ……ごめん……」 うわ言のように呟きながら、無心に唇を攻め立てた。粘膜同士が触れ合うたびに、満たされる気がした。 けれどそれ以上の速度で私の心は渇きを訴えていた。いくらキスをしても満たされない。なんで、どうして。 腕が勝手に動く。するすると、蛇のような艶かしい動きでミヤフジの水兵服の内側に侵入していって、まさぐった。 柔らかで温かで、触り心地のいいきみのカラダ。嫌だと頭で思っていても、意識とは反対に夢中で手が動く。 それと同時に口を離して、首筋に鼻をくっ付けてすんすんと匂いを嗅いだ。 朝練直後のせいか、少しだけ汗が混じった、ミヤフジの匂い。興奮する。したくないのに、興奮する。 「……は、あっ」 舌を這わせた。肌がびくりと総毛だって、彼女の口から吐息が漏れる。 理性と言う名の私の意識がみしみしと、軋みを上げていた。 「もう、いいかな」とか「ミヤフジも満更でもなさそうだし」とか、成り行きに任せてしまいそうになる。 好きなんだから、こういう事をしたいという気持ちは確かにある。私はいつだって、きみに夢中なんだから。 でも、正体不明の衝動ってだけでしていい事じゃない。 ちゃんと向き合って、相手の気持ちを考えて……いや、それも大事だけれど、素面の私がこんな事堂々とできるはずがない。 やっぱり、何かがおかしいんだ。 這わせていた舌を気合で剥がす。潜り込ませていた腕を根性で戻す。その流れでミヤフジの両肩に手を置いた。 「ミヤ、フジ」 名前を呼んだ。いや、苗字か。言いなおす。 「……芳、佳」 「ふぇ……?」 半眼で、真っ赤になった蕩けるような表情。はぁはぁと肩で息をして、ぽおっと焦点の合わない瞳で見つめ返された。 理性がまたぐらぐらと倒壊しそうになる。このまま流れに身を任せてしまえば気持ち良くなれる。快楽に溺れてしまえる。 そんな邪な考えを首を振ってなんとか振り払った。たぶん、順序とか気持ちとか、そういうものが間違ってるはずだから。 幻か、これから起こることなのか、淫らに喘ぐミヤフジの映像が重なって視える。 嘗めるな。伊達にヘタレなんて言われてないんだ。私にそんな事ができるはずがないだろう。 だからこれが、私のささやかな抵抗。 「たす、けて」 それだけ告げて、意識を闇に放り投げた。 「落ち着いたかー」 「……なんとか」 ミヤフジが意識を失った私をここまで担ぎ込んだものの、運悪く出払っていたらしく誰も居なかったという。 その代わりに実家が医者だと言うハルトマンが看ていてくれたらしい。 ミヤフジも診療所の娘だけど、一緒にいたら絶対に襲ってしまうから、席を外してもらっていた。 事実、意識を取り戻して心配そうに覗き込んでくれていたミヤフジをベッドに引きずり込もうとまでしている。 おかげで少し怖がらせてしまった。……最低だな、私。 目の前のハルトマンにはなんともないってのに、なんでこうなっちゃったんだろう。 「盛った?」 「……かもしんねー」 額に手をかざして、天井の蛍光灯をじっと見遣った。 会いたい。ミヤフジに会ってちゃんと謝りたい。いやそれよりも、ちゃんと普通に会いたい。 「で、症状はいつごろから出始めたの」 ハルトマンの問診。おお、なんか医者っぽいぞ。 むくりと起き上がってハルトマンの方を向いた。 「……ここ最近、かな」 「寒くなってきたから人肌恋しくなったのかなー?」 「ち、茶化すなってば!」 ……まぁ、人肌恋しいっていうか、ミヤフジを抱き締めると温かいから、間違ってないような気もする。 もしかしたらあの行動はホントに私の本心なのかもしれない。 そう思って少し凹んだ。 「はい次。最近使い魔外に出してる?」 「使い魔?」 オウムのように言葉を反芻した。 使い魔?使い魔って……私だったら黒狐のあいつか? 「たまーにね、外に出してあげないとストレス溜まっちゃうんだわ。あたしんとこのはほら、元気で可愛いっしょ」 そう言ってダックスフントの使い魔を発現させて、腕に抱いた。 舌を出してはっはっはっ、と息をしているそいつは、間の抜けた行動とは逆に、毛艶も良くてどこか利発そうに見えた。 ……そういえばブリタニアに来てから一度も外に出してやった記憶が無い。 「ちょっと待て。それと私の奇行に何の関係があるんだよ」 「使い魔とあたしら魔女は一心同体なんだからさ、使い魔のストレス溜めちゃうとあたしらにも影響出ちゃうとか、なんかで読んだことがあるんだ」 「……ふぅん」 生返事をして意識を集中させた。 ……どうやるんだっけ?シールドも使い魔も、久しく出していないから出し方を忘れてしまっている。 自分で言うのもなんだけど、スオムスを代表するエースとして「それはどうよ?」と思った。 (確か……こんな感じ) 目を閉じて、おぼろげに真っ白な雪の上を飛び跳ねていた相棒の姿を思い出す。 ああ、そういえば小さい頃は寒い夜によく抱いて寝ていたっけ。 膝の上に微かな重みを感じた。目を開けると、うな垂れて、少し煤けた色の毛をした子狐がちょこんと座っていた。 くぅん、とすまなさそうに、小さく喉を鳴らす。 「なんだよ、構ってやってなかったから拗ねてんのか?」 相棒が少し顔を上げた。 自然に手が動いていた。 「ごめんな、窮屈だったか?」 謝って、頭を撫でると目を細めた。乾いてかさかさしていた毛並みが少し艶めいた気がした。 ああ、そういえば狐もイヌ科だったっけ。ミヤフジみたいな反応に、苦笑が漏れる。 「毛並み悪いねー。ちゃんと散歩させなよ?」 「うん、そうする」 腕を広げて促して、丸まった相棒を抱いた。 おかしいな、前はもっと大きかった気がするんだけど、いつの間にか私の方がでかくなっちゃったんだな。 「私の変な行動って、こいつのせいだったのかな」 手櫛で背中の毛並みを梳きながら、ハルトマンに聞いてみた。 「さぁねぇ。でも心当たりはあるんだよねぇ」 「なんだよ。言えってば」 私の使い魔の喉元をくすぐりながら、曖昧な返事をするハルトマン。 その間ハルトマンのダックスは動かずにじっと主人を見上げていた。……よく出来た使い魔だこと。 「狐の発情期って、いつか知ってる?」 「……は、発情期?」 「子作りするためにムラムラオッスオッスする……」 「皆まで言うな。わかっとるわい」 「その発情期が、冬から春にかけてらしいんだよね」 ……ええと、つまり?外に出れないストレスの影響と、発情期のムラムラが重なって、私のほうに影響が出た、と? ん、いや、でも。 「なんでミヤフジだけなんだ」 「あんたらいっつもイチャイチャしてんじゃん。もうツガイ認定されちゃったんじゃないの」 「ツガイって……なんだよそれ」 「というか宮藤って魔力量が半端ないからさ。そういう意味でも惹かれてたんじゃないかな」 魔力量……。もしそれに惹かれてるんだとしたら、私がミヤフジを好きだって気持ちもそういう意味なんじゃないかって疑ってしまう。 確かにみんなミヤフジの事を好いているはずだし、ちょっとだけ、不安になった。 「それじゃ確かめてみようか」 「へ?」 「おーい宮藤ぃ〜!もう入ってきていいよ〜!」 「……っ!」 控えめに開いた医務室のドアの音に、思わずぎゅっと目を瞑る。 途端、腕に抱いた相棒が、じたばたともがき始めた。……やっぱお前か。 「……あ、あのぅ」 ドアの隙間からおずおずと、こちらを覗きこむミヤフジ。……大丈夫。なんともないみたいだ。 暴れる相棒をなんとか押さえつけて、ぎくしゃくした笑みを浮かべて入ってくるよう促した。 ……今、私はちゃんと笑えているだろうか。 「んじゃ、あたしは気を利かせて出て行きますか」 「そういうのは言わなきゃかっこいいと思うんだけどなー」 「見返り、期待してるかんね」 「……一応礼言っとく。ありがと」 ハルトマンと入れ替わりでミヤフジがそろそろと入ってきて、ベッドの脇の丸椅子に腰掛けた。 少し肩が強張っている。無理も無い、それだけのことを私はしてしまったんだ。 たとえそれが私自身の過失でなかったとしても、謝らなくちゃ。 「……ごめん」 「……」 「……ごめん」 謝罪の言葉を探したけれど、結局出てきたのはそれだけだった。 言葉ってのは不便だ。頭の中ではいろんな言葉がぐるぐる巡って、伝えたい事が沢山あるのに、それを表現するのが難しい。 思ってる事をダイレクトに相手に伝えられたらいいのに。そんな無いもの強請りをする。 「……もう、大丈夫?」 俯きながら、上目遣いで聞いてくる。 「な、なにが?」 「……体調」 「あ……もう、だいじょぶ」 「良かった……」 強張った顔が、若干緩んで柔らかな微笑に変わった。 この子は自分が襲われたことよりも、私の体調のことの方を気遣ってくれていたんだろうか。 そう思うと、申し訳ない気持ちで一杯になる。 あんな酷い事をしてしまったってのに。 「……ごめん」 三度目の謝罪。行為のときのも合わせると、もう何度目だろうか。 「……そういう時は、謝るよりも感謝の言葉の方がいいな」 「え?」 「その方が、心配した方も安心できるから」 ……ホント、よくわかんない奴だよな、ミヤフジって。 でも、やっぱり、好きだ。大きな魔力に惹かれたとかじゃない。理由なんてとうに忘れた。 目の前のきみのことがただ単に好きだ。今はたぶん、それが真実なんだろう。 「ありがとな、心配してくれて」 「うん、元気になってくれてよかった」 微笑が満面の笑顔に変わった。 ……あぁ、これか。これが無かったから満たされなかったんだ。 私が一番欲しかったのはキスでもカラダでもなくて、きみの笑顔だったんだ。 「……あと、これだけは謝らせてよ。酷い事して、ごめん」 「あ、うん……」 頭を下げる。ミヤフジも思い出してしまったのか、頬を染めて俯いてしまった。 私も、赤面しているようだ。顔が熱い。 ……やっぱりちょっとそういう事には早かったのかもな。ゆっくりでいいや。急ぐことでもないし。 「……あのさ」 「うん?」 「さ、散歩、付き合ってよ」 顔を上げてくれたミヤフジに提案する。 胸に抱いたままだった相棒を引っ張り上げて、見せた。すると急にばたばたとふさふさの尻尾を振りはじめる。 ……オスなのかな、こいつ。そういえば考えた事も無い。 「こいつ、あんまり外に出してなくてストレス溜まってるみたいなんだよ。だから、その、一緒に」 逢引きのお誘いにしては少し理由が弱い気がする。 おかしいな、以前はもっとすんなり誘えたはずなのに、ここに来て妙に照れ臭い。 「えっと、こいつのストレスが溜まってたからあんな事を……いや、こいつの事考えてなくて抑えられなかった私が悪いんだけど……あの」 しどろもどろと言い訳を並べ立てる。どれもこれも曖昧で、決定打には程遠い。 泳いでいる視線をちらりとミヤフジの方へ向けると、小首をかしげて「なぁに?」って表情。 ……絶対解ってるだろ、その表情。 「その……デ、デート、しよう」 「うん」 ……なんだ、思いを伝えるのなんて、たった一言でよかったんだ。 ※言い訳※ ・絵とか描いてたらちょっと間が開いたような。 ・ついついハルトマン、シャーリー、隊長あたりを便利に使ってしまう。思考が大人っぽいから。 ・勢いだけで書いた。後悔はしていない。6:12 2009/01/16