よしこ×エイラSS 「ぬくぬく」 芳佳視点 夏生まれだからか体温が高いからか、わたしは寒いのが苦手だ。 食後のお皿洗いをすれば手が真っ赤になってしまうし、洗濯ものを干すときもびゅうびゅう吹いてくる北風と戦わなくちゃならない。 他にも、朝お布団から出るのがおっくうだったり、お風呂に入る直前なんか寒くて冷たくて凍えそうになる。 だからとにかく寒いのは嫌い、苦手……けど、あったかいのは好き。 寒いからこそ、あったかいのが幸せなのだと思うと、冬の事も少し好きになれるかもしれない。最近そんなふうに思えてきた。 半分くらい飲み終わった湯飲みを置いて、ちらりと隣を見る。 「…………」 すぅすぅと、規則正しい寝息を立てているエイラさん。 扶桑からやっとおこたが届いたから誘ってみたら、すぐに溶けたようになって、気づけばいつのまにか眠ってしまっていた。 気に入ってもらえたのかな?もしそうなら、また部屋に来てもらえる理由が増えて、ちょっと嬉しい。安らかな寝顔が愛しくて、くすりと笑いが漏れる。 わたしもごろんと寝っ転がって、寝顔を眺めることにした。 (やっぱり、きれいだなぁ) ふかふかの絨毯、ぬくぬくのおこた、すぐ隣にあなた。息のかかりそうな距離からじっと見つめる。これ以上ないしあわせ。 時間はまだお昼過ぎ。非番で今日は予定も無いし、今日はずっとこうしていようかな。そんな考えが頭をよぎる。 (ああ、でもだめだめ) エイラさんにはエイラさんの予定があるんだから、いつまでもわたしばかりに構わせてはいけない。それにこたつで寝たら風邪を引いてしまうかもしれない。 時計を見た。エイラさんが寝始めてからだいたい30分くらい……かな?まだ眠りが浅いだろうから今のうちに起こしておいた方がいいのかも。 不可抗力で眠ってしまったみたいだし、一度起こして予定を聞いて、無ければそのまま二人でだらだら過ごそうかな。うん、そうしよう。 そう考えてエイラさんを起こそうと手を伸ばしかけて、思いつく。 ……ただ起こすだけじゃ面白くない。もしかしてこれはいつも弄くられてる仕返しをするチャンスなんじゃないだろうか。 (……どうしようかな) 数瞬、考え込んだ。普段やらない「いたずら」をしようと思っても、やり慣れていないから何をしようかと迷う。 さらさらの髪の毛をルッキーニちゃんやバルクホルンさんみたいに結ってしまおうか。 坂本さんみたいなのもいいかもしれない。リーネちゃんみたいな三つ編みは……ちょっと難しいかな。 宙で動きを止めていた手でエイラさんの髪を軽く梳いた。瑞々しくてさらさらで、触り心地がいい。 ぼおっとどんな髪型が似合うかな、なんて考えながら撫でていると、不意にエイラさんの頬に指が当たってしまった。 「ん……むにゃ」 触った途端、寝言を言われたのでびくりと慌てて手を引っ込める。 ううん、なんて言ってもごもごと口を動かした後、また規則的な寝息を立てはじめるエイラさん。止めていた息をほうと吐き出して安堵する。 危ない危ない、何も「いたずら」できないままに起こしてしまうところだった。せっかくのチャンスなのだから逃すのはやっぱり惜しい。 頬に触れた指先をじっと見た。そういえばわたしの頬はよく触られるけど、わたしがエイラさんの頬に触れたことはあっただろうか。 手なら何度も繋いだことがある。でも手で触れたことは……数えるほどしかない。 頬同士や唇や舌でなら……なんて考えて思わず赤面する。ああもう、この赤面癖だけはなかなか治らないみたいだ。 紅潮した顔のまま、エイラさんの顔を正面に捉えた。おずおずと手を伸ばして、また頬に触れる。 起きる様子は無いみたいだった。 (……すべすべしてる) 空気の乾燥する冬場だというのに、髪と同じようにエイラさんの頬は触り心地がよかった。 北国スオムスの出身だからかな、きっとわたしなんかとは根本的に肌質が違うんだろう。触り慣れない感触に、ついつい手が動いてしまう。 ふと気になって、もう片方の手で自分の頬と触り比べてみた。 エイラさんはもちもちしてると言っていたけど、わたしからすればエイラさんの頬の方が触り心地がいい。 わたしの指の動きに合わせて、柔らかで張りのある頬っぺたが形を変えていく。その様子がなんだか面白くて、髪と同じように夢中で触った。 まるで新しい玩具を買ってもらった子供のように、撫でて、突付いて、軽く摘んで、遊ぶ。 摘んだ途端、エイラさんの形の良い、薄めの唇が歪んでふみゃあ、というなんだか似合わない可愛らしい声が漏れた。悪いとは思ったけど、聞いてくすりと笑う。 ごめんね、痛かったかな。でもこんな無防備なエイラさんなんて滅多に見られるものじゃないから。今日だけ許してよ。 たぶん起きてる時でも頼めば「今日だけだかんな」って言って触らせてくれるのかもしれない。 けどこれは「いたずら」なんだから、頼んでするようなことじゃない。こっそり、そーっと。今日のわたしは珍しくいたずらっこなのです。 「んしょ」 ほんの少しだけ近づいた。少しと言ってももともと触れられる距離だったから今はもうまさに目と鼻の先だ。 エイラさんの寝息がかかってわたしの前髪がふわりと揺れた。くすぐったくて気持ちいい。ちょっと酸っぱい、さっき食べたみかんの香り。 (……キスしちゃおうかな) 微かに動くエイラさんの唇を見ていると、やっぱりというかなんというか、そういう気分になってしまった。 こんなに顔が近くにあって、エイラさんは恐らく動かない。所謂絶好のチャンス。 (……でも) 寝てる間に、だなんて卑怯な気がする。「いたずら」の枠を越えてしまっている気がする。 けど髪なら、頬なら、おでこなら……そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。 そう考えている間にもぐぐぐ、と顔を近づけている自分に気づいた。気づいたけれど、止まらなかった。 (だめだよ、こんなの) 真っ白になりそうな頭の中で最後の理性が制止をかけてくる。 けれどもうちょっとで、あと小指の先くらいの距離で届く。触れるだけ、触れるだけだから。ほんのちょっとだけ。 ああ、やっぱりわたしは我慢が足りない。思い立ったらすぐ行動してしまう。 わたし自身の美点である欠点に辟易しながら目を閉じた。唇をほんの少し尖らせる。喉の奥から自然に声が出た。 「……ん……」 「……ふえっくし!!」 折からの強風で顔の進行が止まった。無数に飛んできた唾で顔が冷たい。 「…………」 「……ん、あれ?ミヤフジおはよ」 「……おはよう」 もうちょっとだったのになぁ。顔を拭きながら残念がる。 わたしの方からキスなんて、肌に触れることと同じで記憶のかぎりほとんど無い。……唇以外ならけっこうしてるんだけどな……。 そんな事を考えながら寝起きで目を擦るエイラさんを見つめた。 「……さむい」 「こたつで寝るからだよ。風邪ひいちゃうよ?」 「ミヤフジだって寝ころんでるじゃん」 「これは……その」 「??」 言いかけて踏みとどまった。寝顔を見てただなんて言うのは少し恥ずかしい。 ただでさえ髪や頬っぺたを弄くってた上に、寝込みを襲う形でキスまでしようとしてたなんて言ったらエイラさんはどんな反応をするだろう。 お返しだー、って弄くり返されるかな。……ちょっと魅力的だと思ったわたしはどうなんだろう。弄くられたいのかなぁ、わたし。 「さむい……ミヤフジ、抱いていい?」 「うん……ってえぇっ!?」 言うが早いか、背中に腕が絡みついていた。わたしがじっくり時間をかけてのろのろ近づいていた距離を一気に縮められる。 エイラさんの腕にすっぽりと納まって、固定される。逃げる気なんてないけど、もう逃げられない。 「はー、あったかい」 「……むぅ」 湯たんぽか何かの代わりにされてるんだろうか。なんだか釈然としなくて、頬を膨らませた。 膨らませつつ、やっぱり抱き締められたことが嬉しくて笑みがこぼれる。たぶん今わたしは腑抜けた表情をしてるんだろう。 絨毯と首の間に開いたスペースに腕を差し込んで抱き締め返す。更に距離が縮まった。 「れろ」 「ひゃああ!?」 いきなり頬っぺたをぺろりと舐め上げられた。驚きに声が漏れ出る。 「そこまで驚かなくても」 「きゅ、急に舐められたらびっくりするよ!」 「んふふ、びっくりして慌てるミヤフジも、かわいい」 狐みたいに目を細めて、いたずらっぽい表情を浮かべるエイラさん。うぅ……なんかすごく楽しそう。 やっぱり「いたずら」の練度ではエイラさんの方が上手らしい。いきなりわたしの考え付かないような事を絶妙のタイミングで仕掛けてくる。 両腕でがっちりと固定されて、今のわたしはされるがままだ。 髪に頬擦りされて、またぎゅうっと抱き締められる。……それが気持ちいいって思っちゃうわたしもわたしだけど。 「このまままた寝ちゃおうかな……あったかいし」 「だめだよ、ちゃんとベッドで寝ないと風邪ひいちゃうってば。ていうか起きて!まだお昼過ぎだよ!」 もぞもぞと、腕の中で動いて抗議を表す。 夜間専従員だから昼が眠いのはわかっているけど、やっぱり昼は起きていた方がいいと思う。 最近は寒いせいかネウロイの動きも緩慢で、夜間のシフトもかなり緩めに組まれていた。 「えー、もうちょっとミヤフジとくっついてたい」 「……エイラさん、それ殺し文句」 「にしし、わかってて言った」 歯を見せて笑うエイラさん。ううぅ、また遊ばれてる。わたしが照れるの見て楽しいのかな。 わ、わたしだってずっとくっついてたいけど……動かないでごろごろしてたら太っちゃうし、坂本さんにたるんでるーって言われちゃうよ。 「じゃあ何したら起きてくれる?」 「ん……キス、とか」 視線を外して照れ臭そうに言われた。……おはようのキス、ってことなのかなぁ。 「……し、したらちゃんと起きてよ?」 「にしし、でもミヤフジって受け体質だからできるかなー?」 ……むぅ、ば、ばかにしてぇ……。 体に回していた腕を頭の後ろに持ってきて、顔と顔を近づけた。鼻の先同士が擦れあう。 「し、しちゃうよ?」 「うん」 「ほんとにしちゃうよ?」 「寝起きの頭を一発で覚めさせるような情熱的なのをよろしく」 「…………」 絶対無理だって思ってる顔だ。 「わ、わたしだってやる時はやるんだから」 言って更に顔を近づけた。近づくたびに顔の温度が上がっていくのが自分でもわかる。頭の中も沸騰寸前だ。 腕にぐっと力を込めて、エイラさんの頭を近づけた。互いの息が混ざり合う。唇同士がちょん、と触れた。 ここまで来ればもう戻る気も無くなって、そのままの勢いで押し付けた。密着して唇が形を変えていく。 二人してんん、と喉を鳴らして、ただ唇を重ねるだけの不器用な口付け。 それでも温度と感触が伝わってくるのが嬉しくて、夢中になって押し付ける。 「ん……は……」 少しだけ口を離して数秒止めていた息を再開する。でもそれも一瞬で、また唇を啄ばんだ。 後頭部に回していた手を髪に潜り込ませた。手触りがいい。さらりと零れる金とも銀ともつかない長い髪を纏わりつかせて、掻き抱いた。 ぐっと力を込めるとエイラさんもそれに反応して腕に力を込めてきた。肩と腰が引き寄せられる。体が密着して、鼓動温度感触匂い色々なものが混ざり合う。 舌を唇の隙間に割りいれた。互いの唾液も混ざり合っていく。体がぜんぶ溶けて混ざって、何もかも一緒くたになるような、不思議な感覚。 「はむ……んぅ……ちゅ」 まるで別の生き物のように、舌同士が絡んだ。頭の中が真っ白になって、そのことしか考えられなくなる。 きもちいい。それ以上に幸せで、嬉しい。そんな行為。 「……ん、ふぅ」 唇を離して、こく、こくと唾液を嚥下する。何か少し恥ずかしい。 「な、なんか、やらしーな?」 「うぅ……い、言わないで」 それを見ていたエイラさんに突っ込まれる。 やろうと思ってやったわけじゃないし……な、なんか自然に……。 「あ、あの、目、覚めた?」 「ん……覚めた。ついでに体も温まった」 「う、うん……」 確かにわたしの体も少し火照っていて、冬だっていうのに暑いくらいだ。 なんだか照れ臭くて視線を逸らすと、エイラさんがこつんとおでこをぶつけてきた。 はっとして上目遣いで目を見ると、半眼気味に睨まれていた。 「……そっちからやっといて、目ぇ逸らすのってズルいんじゃない?」 「だ、だって……恥ずかしい」 あんなに積極的になって……キスして。我に返ると顔を覆いたくなる。 「こっち見てよ。もっと私の事見てよ、ミヤフジ」 目を閉じて、寝てる間ならいくらでも見つめられたのに、エイラさんもわたしのことを見てるって思うと照れて、目が泳ぐ。 普段なら大丈夫。けどこういう……なんというか、言い現しにくいけどそういう雰囲気の時はいつもそうだ。 ずっと見ていたいのに、不思議。 「狐はキマグレだからなー、じっと見てないとすぐどっか行っちゃうぞ?」 「そ、それは困るっ」 やだよ、やだやだ。どこにも行かないで。小さな子供のように慌てて、逸らしていた視線をエイラさんの方へ向けた。 群青とも紫ともつかない、まるでアメジストのようなきらきらとした瞳がじっとわたしを見つめていた。深くて、綺麗で、吸い込まれそうになる。 ああ、やっぱり眠っている間だけ見つめるだなんてもったいないや。こんな綺麗な眼を見ないだなんて、たぶん人生の何割かを損してる。 「ウソだってば。どこへも行くもんか。だから私の事をずっと見ててよ」 「うん。エイラさんも手、離しちゃだめだよ。絶対離さないでね」 「ミヤフジもすぐどっか行っちゃいそうな性格してるもんなー。こう、ぎゅーっとしとかないと」 「いたいー」 「嬉しいくせに」 「えへへぇ」 見つめあって、笑いあう。囁きあう、睦言。取り留めの無い言葉でも、今はただあたたかで、幸せで。冬である事を忘れそうになる。 嫌いなはずだったのに、今はもう寒いことがひたすらありがたい。だってこんなにあたたかだから。 寒いからこそ、あなたの体温を直に感じられて、あったかいのが幸せなのだと思うだけで、寒さすら愛しくなる。そんな現金なわたし。 「さ……って。明るいうちにその辺ぶらぶら散歩でもして来ようか」 小さく背筋を伸ばして、わたしの頭をぽんぽんと叩く。 「どうしたの?急に」 「キマグレ。というか、目に焼き付けておきたいし」 視線は部屋に備え付けのクローゼット。ああ、うん。そういえば。 「ブリタニアの冬って短いからなー」 「……いつか、スオムスにくっついて行っちゃおうかな。スオムスなら長いこと着られるし」 「名案かもな。連れてくよ、いつか」 話の流れの口約束の「いつか」がいつなのかはわからない。明日かもしれないし、ずっと来ないのかもしれない。 その約束自体はひどく曖昧だけど、約束したということは確実だから、信じられた。 のそのそと起き上がって、もそもそとおこたから這い出る。温かさの余韻はすぐに冷たい空気に溶けて、消えていった。 でも、もう寒いなんて思わない。繋いだ手がすごく暖かいから。 「髪、ちょっとはねてる」 「ミヤフジだって、こーんな」 「それは癖毛だってば」 クローゼットを開けた。真っ白で、まるで雪のようなそれ。本物の雪と違う所は、暖かいところ。 袖を通して、振り返った。 「ねぇ、似合う?」 「うん、とっても」 あなたが笑いかけてくれるだけで、わたしはぬくぬく。 少しだけ、冬が好きになれた気がした。 ※言い訳※ ・クリスマス以降、正月以前くらいの時間軸。 ・冬っていいよね。寒いって名目で合法的にイチャイチャできるから。