よしこ×エイラSS 「16-21/02/45」 芳佳視点 3つ。 ひぃ、ふぅ、みぃ……何度数えても残り3つ。 大事に大事に食べてきたのに3日でもう残り3つまで減ってしまった。 「うぅ……最初に2つも食べちゃったからなぁ……」 嘆いたところで食べてしまったものは戻ってこない。今日のぶんはおしまい、と素直に諦めて小箱の蓋を丁寧に閉めた。 エイラさんに貰ったチョコレート。大事な大事なチョコレート。 チョコレートなんて町に行けばどこででも売ってるし、基地の売店でだって手に入る。 けれどあの日、あの時、彼女に貰ったチョコレートはたったこれだけ。だから大事に食べてきた。 たかがお菓子なのに、こんなにもしあわせな気分になれるのが、まるで魔法みたいだ。 おねだりすればまた買ってもらえるかな、そんな子供みたいな事を考える。 「……ぎぶみーちょこれーと」 チョコレートをください。貴女の気持ちが詰まった甘いチョコレートを……なんちゃって。 口の中に少しだけ残っていたチョコレートの余韻を目を閉じて味わった。 あまくて、少しほろ苦い。この味を思い浮かべるだけであの時のキスの感覚が鮮明に蘇ってくる。 「あぅ……」 ついさっき、何度もしたのに。なのに忘れられないほどの、キス。 ……だめ、考えるだけでお風呂でもないのにのぼせちゃう。 無意識のうちに手が唇に伸びていた。伸ばした手ではたと気づく。 「そ、そうそう!歯磨きしなきゃ!」 甘い物を食べた後には歯を磨かなくては虫歯になってしまう。少し喉も渇いていたし火照った頬を冷ますのに丁度良い。 悶々と浮かんでくる桃色の妄想を振り払うように一人大声を張り上げてベッドから勢いよく立ち上がった。 上げたあとに夜中だったという事を思い出して、慌てて口を両手で塞ぐ。とは言っても上げてしまった声はもう引っ込みはしない。 ……お隣のリーネちゃんに聞こえやしなかっただろうか。心の中でごめんと呟いてそろりそろりと忍び足でドアまで向かった。 ドアノブに手をかけた時、ふとまた独り言が口を突いて出た。 「……磨きたく、ないな」 消灯後の薄暗い廊下を一人おっかなびっくり歩く。もう慣れた場所だというのにやっぱり一人ぼっちで歩くには心細い。 前にペリーヌさんから聞いた幽霊の話も手伝って、夜の怖さに拍車をかけている。 冬の強い海風にかたかたと鳴る窓、無数に並ぶ人一人なら充分納まるほどの大きさの柱、 誰も使っていないはずなのに今にも誰かが飛び出してきそうな幾枚ものドア。 ほとんど見えない視界に映るすべてのものが、わたしから勇気を根こそぎ奪い取っていく。 「うぅ……ネウロイなんかよりずっと怖い……」 戦う事にはまだ抵抗があるけれど、半年間戦ってきて多少なりとも慣れたのか、私の中ではお化けや幽霊の方がネウロイの何倍も怖かった。 あと少し、その角を曲がって少ししたら常夜灯の点いた給湯室兼洗面所だ。 もうほとんどすっからかんの勇気を振り絞って足を速めた。 「あ……」 「あれー?ミヤフジ、さっきぶり」 偶然にも給湯室に居合わせた彼女の存在に、心の底からから安堵した。 ぷるぷる震えて今にも崩れ落ちそうだった両足に、みるみる力が戻っていくのがわかる。 ついさっき「おやすみ」と言って別れたはずなのにもう一度現れたわたしを見て少し驚いたけれど、すぐに笑顔を向けてくれた。 「……えいらさぁん」 「うわっ!?ど、どうしたんだよミヤフジ!」 気づいた時には駆け寄って、胸に飛び込んでいた。 一人で心細かった。貴女の姿を見てすごく安心した。ただ抱き締めて欲しかった。好き。 腕の中に納まったあとになってから、いろんな言いたい言葉が頭の中をぐるぐると巡っていく。 けど急激に安心してしまったせいか言葉が出ない。ただ、腕を背中に回して顔を胸に擦り付けて、貴女の名前を呼ぶだけ。 「エイラさん、エイラさん……」 「……よしよし」 そんな駄々っ子のようなわたしを優しく抱き締めて、頭を撫でてくれた。 それだけでわたしの心がどんどん落ち着いていく。 「……怖かったの?」 「す、少し……」 「嘘つけ。少しでこんな状態になるわけないじゃん」 「ぐぐ……」 悔しいけれど言い返せない。現になかなか離れられないでいるわたしをエイラさんは文句も言わずに包んでくれている。 その優しさが嬉しくてついつい甘えてしまう。どうにも離れられない。 「もう大丈夫かな」 「う、うん……」 離れるのが名残惜しかった。 歯を磨いたあと、エイラさんのコーヒーが入るまでまた一緒にお話することになった。 ……なった、というかわたしが「一緒に居てもいい?」と聞いたんだけど、エイラさんは快く承諾してくれた。 「寒いだろ?おいで」 そう言って脚を開いて椅子に深く腰掛けて手招きするエイラさんを見た瞬間、 どきゅーんというまるで銃を撃ったような効果音が頭の中に響いて、心臓が機関銃のような早鐘を打ちだした。 ああ、だめ。誘いにほいほい乗って腰を下ろしたらきっとわたしは溶けてしまう。 けれどその招待はあまりにも魅力的過ぎて、結局わたしはほいほいと腰を下ろしてしまった。 「お、おおおおお邪魔します……」 緊張でかちこちになったわたしを迎え入れてすぐ、身体にエイラさんの腕が巻きついてきた。 溶けてふにゃふにゃになりそうな身体をなんとか気力でもって正す。 ……ああでも、少しくらいなら身体、預けてもいいよね。 「はい、いらっしゃい。はー、あったかい」 「……エイラさんの方が寒かったんじゃない」 エイラさんが肩に顎を乗せてきて、頬同士が触れ合った。 わたしも言いながら、少しだけエイラさんにもたれて体重をかける。……背中にやわらかい感触がする。 「まーね。今夜は冷えるから」 言って窓の外に視線を移動させるエイラさん。 きっと窓の向こうの遠くの空で、一人飛んでいるあの子の事を想っているんだろう。 少しだけ、胸の奥が痛んだ。 「……心配?」 「ん、まぁ……でもサーニャ、友達できたらしいからな。寂しくはないだろ」 「だといいな」 新しくできたお友達の事を、サーニャちゃんは楽しそうに話していた。 階級はあっちの方が上なのに、油断するとすぐ敬語になってしまう癖とか、サーニャちゃんが初めてのお友達だとか。 今まで一人きりだった夜間哨戒が少し楽しみになった、とも言っていた。 「留守番の私にできることと言えば、もしもの時に真っ先に駆けつけることくらいかな」 「かっこいいなぁ、もう」 「にひひ、惚れ直した?」 「ほ、惚れ直すとかそんな……」 確かにエイラさんは綺麗だし、かっこいいし、優しくてちょっといじわるで……大好き、だけど、 「惚れ直す余地もないくらいに好きだから……その、あの」 「う……ち、ちょっとからかっただけなんだから本気にすんなよなー!?」 「えぇっ!?からかってたの!?」 からかわれてただけなのに、本気にしちゃって……あああああ、は、恥ずかしい……。 思わず両手で顔を覆おうとしたけれど、エイラさんに腕ごと抱き締められているのでそれもできない。 おそらく真っ赤になっている顔のままもじもじと貧乏ゆすり。 「……恥ずかしがってるミヤフジ、かわいい」 「う、嬉しくないよぉそんなの!」 「ホントに?」 「……す、すこし……嬉しい」 素直にそう応えると、またにひひと笑って腕に力が入って、頬擦りされた。 ちょっとくすぐったくて、気持ち良くて、思わず目を細める。 細めた瞼の間から、もうすぐドリップの終わるコーヒーがちらりと見えた。 「……あ」 気がつくともうわたしの部屋のドアの前だった。 繋いだ手に少しだけ力を籠める。 「入らないの?」 「……入る、けど」 ……ずっと一緒にいたいのになぁ……。 会えない時間はすごく長く感じるのに、一緒にいられる時間はあっという間に過ぎていく。 なんかそれって、不公平。 「また明日会えるじゃん。……あ、今日か」 「あはは……そうだね」 そんな冗談とも本気ともとれない励ましの言葉のおかげで、ほんのちょっと心が軽くなる。 繋がっていた手の力を抜いて、ゆっくりと離す。 一歩、二歩と歩いてくるりとエイラさんの方に向き直った。 「あの……キス、して?」 「…………」 チョコの甘さも、キスの余韻も、さっき全部洗い流してしまったから。もう一度だけと懇願する。 優しい貴女はきっと断りはしないんだろう。 わたしばかりが我が儘を言って、貴女の優しさに甘えてばかりで、ちょっとだけ苦しい。 しばらく心なしか朱に染まった顔でわたしを見つめた後、思い立ったように手に持ったポットを床に置くエイラさん。 「……一回だけ、だかんな?」 「……うん」 両肩に手が置かれる。ゆっくりと目を閉じてくい、と顎を持ち上げた。 鼻先に微かに息がかかったような気がした。触れる。 「ん……」 チョコレートよりも、ずっと甘く感じた。 「はふぅ……」 おやすみを告げた後、崩れ落ちそうになる膝を叱咤して部屋に入り、なんとかドアにもたれかかった。 胸に手を当ててみると、沸点の非常に低い心臓が元気に動いて血液を全身に送り出している。 「……眠れるかなぁ?」 こんな調子で。 ふらふらと夢見心地の足取りで、なんとかベッドまで辿りついた。 布団の中に潜り込みながら窓に飾ってある写真立てに挨拶。 「おやすみ、お父さん」 その隣の写真立てを見て、また顔が綻ぶのがわかった。 「……おやすみなさい、エイラさん」 ついさっきも言ったのに、もう一度言った。 どきどきとやかましく動いていた心臓がひときわ大きく鳴ったような気がする。うぅ……不整脈かなぁ。 枕に勢いよく倒れ込んだ後、しばらく天井を見上げていた。 「また……明日」 別れ際にエイラさんが言ってくれた言葉を一人呟いた。 もうわたしは完全に恋する乙女というやつなのだろう。 ふと明日……というよりも今日は何日だったっけ、と思いついて、もう一度起き上がってカレンダーに目を遣る。 「…………ああああああああああああああああ!!??」 ……リーネちゃん、ごめん。そう心の中で呟いた。 翌日、わたしは焦っていた。 どうしようどうしようどうしよう……。 なんで忘れてたのわたし、こんな、こんな大切な日の事を……。 2月に入ってから忙しすぎてすっかり記憶から抜け落ちてしまっていた。 確か……1月の終わりに準備をしようとしていたんだ。けど誕生日ってことでみっちゃんの誕生日を思い出して……手紙を書いて……。 それが終わったらすぐに坂本さんの提案で節分の用意とかいろいろしてて……。 8日には……確かクリスちゃんのお祝いだってバルクホルンさんについてロンドンまで……あぁ、たぶんこの辺りで忘れてしまったのかもしれない。 13日のシャーリーさんの誕生日の時に思い出したのに、バレンタインで浮かれちゃって……また吹っ飛んじゃったのかもしれない。 「どうしようどうしようどうしよう……」 せわしなく部屋の中をぐるぐると行ったり来たり。 今日が16日だから……あと五日。あと五日でプレゼントを用意しなきゃ。 ……それなのに、全然思いつかなくて軽く絶望しかける。 「わたし、エイラさんのことほとんど知らないんだ……」 「お願いっ!何か参考意見を聞かせてっ!」 ……で、結局恥を忍んで聞くことにした。 「……芳佳ちゃん、まだ用意してなかったの?」 「は、恥ずかしながら……」 エイラさんの事を一番良く知っていそうな人といえば、この隊では一人しかいない。 わたしの剣幕に圧されたのか、サーニャちゃんはその碧の瞳に少しだけ驚きの色を滲ませた。 「な、なにか無いかな?好きなものとか……欲しがってたものとか……」 「うーん……エイラって、欲しいものとか、昔話とか全然しないから……ちょっとわからないかも」 「そ、そう……」 がっくりとうなだれる。思えば昔話とかも全然してもらった記憶が無い。 たぶん、過ぎたことよりも今やこれから先の事にしか興味が無い人なのかもしれない。 「……実は、わたしもプレゼントの用意、まだなの」 「ええっ!そうなの?」 「うん」 頷くサーニャちゃんは焦っている様子は無く、なんだか楽しそうだった。 意図がつかめずわたしは眉毛をハの字にする。 「形に残らないものでも、たぶん記憶には残ってくれるから」 「???」 「わたしね、昨夜思い出したの」 小さく息を吸ってサーニャちゃんが語りだす。 「あの夜、芳佳ちゃんとエイラが誕生日を祝ってくれてとっても嬉しかった。お父様のピアノも聴けて、最高の誕生日だと思ったの」 「あ……」 「次の日には隊のみんながいっぱい祝ってくれて……お料理やケーキはもう食べて無くなっちゃったけど、大切な大切な思い出になったの」 そうだ。思い出した。あの満月の夜、サーニャちゃんとエイラさんの「おめでとう」という言葉に涙が溢れそうになったことを。 あの3日間でできた、大好きな人と、大切なお友達。その二人に祝ってもらって、今までで一番嬉しかったことを。 「プレゼントはおまけ、本当に大切なことは、相手の事を心の底から祝うこと……エーリカさんの受け売りだけどね」 そう言ってちろっと舌を出して微笑むサーニャちゃん。 いつの間にかこっちまで笑顔になる。そんな力のある可憐な笑顔だった。 とは言ったものの、手ぶらで祝うというのもどうにも気持ちが悪い。 プレゼント……わたしの方が貰ってばかりだし。「ありがとう」と「おめでとう」をたくさん籠めて何かを贈りたい。 「それで、わざわざこんなロンドンの端っこまで聞きに来たって訳か」 「はい」 力強く頷くと、店長さん……エリザベス・F・ビューリングさんはちょっと面倒臭そうに咥えていた煙草を灰皿に押し付けた。 二人でロンドンまで出掛けると、エイラさんが必ず寄るこの喫茶店の店長さん。 見た目は少し怖いけど、根はすごく優しい人だし、エイラさんの昔を知ってる数少ない人だったので聞くなら適任だと思った。 「似た者夫婦というか、扶桑の魔女はとことん頑固というか……」 「はい?」 「なんでもない。こっちの話だ」 眉間に指をあてて軽く揉む仕草。……迷惑だっただろうか。 「あの、ご迷惑だったでしょうか」 「いや、丁度良い暇潰しだ。どうせ客なんてろくに来ないからな」 言われて店内をぐるりと見渡した。 ……お昼時を外した時間帯とはいえ、わたし以外は誰もお客さんがいない。 こんな客の入り様で本当にやっていけてるのだろうかと不安になる。 「どうせ退役軍人の道楽さ。死ぬつもりで戦ってたから貯金には全く手をつけていなかったし、煙草代さえ稼げればそれでいい」 「し、死ぬなんて軽々しく言わないで下さい!残された人が悲しみます」 ふいに口を突いて出たであろう言葉に過剰に反応して声を上げてしまった。 きょとんとした顔の店長さんが切れ長の目をこちらに向けてくる。 「……そうだな。私が死ぬと悲しむ人が何人もできたから、なんだかんだで生き残って、今ここにいる」 ふぅと小さな溜め息をついて、眉毛を下げた泣き笑いのような表情。 その表情を見てなんとなく安心した。この人はもう死にたいだなんて思わないのだろう。 「ええと、なんと言ったか……豆藤さん?」 「みやふじですっ!」 「ああ、そうそう宮藤さん。あの狐の小娘に何か贈りたいんだって?」 「こ、小娘……って……」 少しだけむっとする。 ペリーヌさんのたまに使う「豆狸」みたいな愛称……ニックネームみたいなものだと思うけど、好きな人がばかにされたみたいで腹が立った。 「ははは、ご機嫌を損ねてしまったか。愛されてるみたいだな、エイラは」 「あいっ……!?か、からかわないでくださいっ!」 「ははは、からかうと面白い。これはエイラが可愛がるのもわかる」 「店長さん〜〜〜!!」 すっかり相手のペースに乗せられてしまった。話を聞くどころじゃない。 椅子から立ち上がってカウンター越しに店長さんを睨みつけようとした時、からからん、と入口ドアのベルが鳴った。 「やっほ〜!リズ、久しぶりぃ〜!」 元気の良い声に振り向くと、薄いブラウンのロングヘアーを翻らせた綺麗な女の人が入口に仁王立ちをしていた。 茶色のキャスケット帽、皮製のフライトジャケット。真っ白なブラウスに良く映える真紅のスカーフ。 瞳は深いブルーでその優しそうな顔立ちはまるで…… 「リーネ……ちゃん……じゃない、ですよね?」 「あら?リズ、この子お客さん?」 「なんだ、こっちに戻って来てたのか、ウィルマ」 「へえええぇぇぇ!キミが芳佳ちゃんかぁー!ほんとにリーネが言ってた通りちっちゃくてかわいぃー!!」 「むが!もが!」 むぎゅぅ、と力いっぱい抱き締められた。 苦しい。苦しいけどいつだったかリーネちゃんにされた時より苦しくないのはある一部分のおかげだろうか。 「その辺にしてやれウィルマ。結婚して少しは落ち着いたかと思ったが相変わらずだなお前は」 「だぁってぇー、かわいいんだもーん」 店長さんに話しかけられて少し腕の力が緩んだのを見計らって、なんとか脱出に成功した。 もっとそうしていたかったのか、女の人……ウィルマさんは少し残念そうだ。 「……ぷはっ!うぃ、ウィルマさんってご結婚されてるんですか?」 見た感じでは相当若い。恐らくまだ20代だろう。 立ち振る舞いも若々しい……というよりなんだか子供っぽかった。 「うん、ダーリンとはらぶらぶ〜。あとリズともらぶらぶ〜」 「ええっ!?」 カウンター越しに抱きつかれた店長さんが心底うんざり、という顔をした。 少し頬が赤い気がする。こういう事に耐性が無いのだろうか。 首に回された腕を引き剥がしながら口を開く。 「……私はレズじゃないと何度も言ってるだろうに。旦那が泣くぞ」 「あら、女は男を泣かせてナンボってものよぉ?それに、結婚と恋愛はべ・つ」 「解ったから離せ」 「あん♪リズのいけずぅ」 なんだかすごい人だ。ルッキーニちゃんくらい賑やかで楽しい。 剥がし終わった店長さんがぽいっと投げるようにウィルマさんを突き飛ばすと、にゃーとか言いながらどかっと椅子に座るウィルマさん。 その様子を見て思わずくすりと笑ってしまった。 「あははは、たーのしー。っと、それでそれで?芳佳ちゃんのリズへの相談ってなに?恋愛相談?なんならお姉さんが相談に乗ってあげるよ?」 けらけらと笑った後、思い出したようにずずいとわたしに顔を近づけてきてまくし立てるように喋る。 あまりの迫力にすこし後じさってしまった。 「相手は彼氏?彼女?どんな子?お姉さんケイケン豊富だからなーんでも教えてあげるよ?ねぇ教えて教えて教えてー!」 「ウィルマ、どうどう。宮藤さんが困ってるぞ」 「あははは……」 リーネちゃんのお姉さんだというのに性格はどうやら真逆のようだった。 でも恋愛とかの話が大好物のようで、やっぱりリーネちゃんのお姉さんなんだな、と変に納得してしまう。 話を聞く限り女の子同士の恋愛についても理解があるようだし、この際聞いてみようか。 判断に迷って助けを求めるように店長さんの方を見ると、 「宮藤さんがいいと思うなら話してもいいんじゃないか?こいつが経験豊富なのはこの通り見ればわかるだろう」 という答えが返ってきた。 「んっふっふっふ〜ん♪」 話を聞くウィルマさんはこれ以上無いってくらいに楽しそうな顔。 「ひゃああああん!もぉう甘酸っぱぁぁぁぁい!!口の中酸っぱ、甘、酸っぱ、甘の連続射撃ね!あ、リズコーヒーおかわり」 「やーぼーる……」 反応はリーネちゃんとそう変わらず。やっぱりこの人はリーネちゃんのお姉さんだ。 「えっと……それで、あの、何か無いでしょうか……」 「そだねー……彼女さんは髪が長いみたいだしリボンとか、髪飾りとかは?」 そう言ってくい、と店長さんの方を示した。 「こ、これは料理の時に邪魔だから括っているだけだ」 「またまたぁ、使ってくれてるんだ。嬉しいなぁ」 「お前に貰った物しか手元に無かっただけだ」 「いけずぅ〜♪」 ふん、と鼻を鳴らして新聞を広げる店長さん。……実は照れ屋さんなのかな? 首を傾げているとウィルマさんが「リズってばクールな振りして意外と押しに弱いのよ」と小さく耳打ちしてきた。 いつもは飄々としているけれどこっちが攻めに出ると途端にしおらしくなる。なんだかエイラさんに似ていて少しかわいいと思った。 「髪飾り類はちょっと……出撃がありますし」 「そっかぁ。そうだよねぇ。魔法繊維のものじゃないと付けて飛んで落としちゃったら泣くに泣けないもんねぇ」 ふーむ、と腕を組んで考え込んでくれるウィルマさん。 「あ、じゃあ指輪とか。サイズぴったりならそうそう抜けるもんでもないよ、アレ」 そう言って左手を見せてくる。薬指にきらりと、銀色の指輪が光っていた。 「ゆ、ゆゆゆゆゆ指輪、とかっ!?は、早すぎますよぉ!」 両手をぶんぶんと、すごい速度で振って壮絶に遠慮した。 き、貴金属とか……そんな、まだ、け、けけけけ結婚とか……ま、まだ早い!早いよ! 「うわぁ……何この子ちょうかわいい……って何笑ってんのリズ」 「……くく……」 見ると店長さんが新聞紙を広げたままぷるぷると笑いを堪えていた。 ……何かツボにでも入ったんだろうか。 「ま、指輪ならサイズも測らないといけないし無理、かなー?」 「は、はい……」 茹だった顔を冷やすために氷の入った冷水を口に流し込む。ひんやりとした水が顔の火照りを落ち着けてくれた。 「じゃあ、ネックレスとか。上着の中に入れれば落とす心配もほとんど無いし、いつも身につけてくれるかも」 「ネックレス……かぁ」 いい、かもしれない。 「……でも、わたしってセンス無いから……」 「だーいじょーぶだって!聞いた限りじゃ彼女さんは芳佳ちゃんにベタ惚れみたいだし、どんなのでも喜んでくれるよ、きっと」 「そうかなぁ……」 ウィルマさんはそう言ってくれるけど、それでもやっぱり自信が無い。 「なんならお姉さんが選んであげよっか?」 「おい、宮藤さんやめとけ。ウィルマの買い物について行くと体力が保たない」 経験者は語る。 確かにこの人のことだ。1時間も話していないけど、何軒も何軒もお店を引っ張りまわされそうな雰囲気がひしひしと伝わってくる。 「あははは!私って面食いだからねー」 けらけらとまた大笑い。本当に面白い人だ。 ふっと微笑を浮かべかけた時、また入口のベルが騒々しく鳴った。 「はぁ、はぁ、お、お姉ちゃん!ウィルマお姉ちゃん!」 「あ、リーネ久しぶりー!元気だった?」 「リーネちゃん……?だよね、今度こそ」 息を切らせて店に入ってきたのはリーネちゃん。 どうやら急いで走ってきたようで、はぁはぁと肩で息をしている。 「よしかちゃん!?ど、どうしてここに……」 「なんだなんだ、今日は珍しく千客万来だな。いらっしゃい、妹さん」 「り、リネットです!」 ウィルマさんと店長さんと別れてリーネちゃんと一緒にバス停まで歩く。 日が傾いて辺りはもう薄暗く、ガス灯に明かりが点き始めていた。 「本当に実家に帰らなくていいの?ウィルマさん、すぐ帰っちゃうって言ってたよ?」 「うん、元気な姿が見られたから、それでいいの」 「そっか」 笑いながら応えるリーネちゃんの顔は満足げだった。 きっとお姉さんの事が大好きなんだろう。 「それにしても面白い人だったなぁ、ウィルマさん」 「あはは……ちょっと元気すぎるところもあるけどね。びっくりしたでしょ?」 「うん、ちょっとだけ。でもお話できて楽しかったぁ」 貴重な参考意見も聞けたし。店長さんの意外な一面も見れたし。 今度はリーネちゃんとも一緒に来てみようかな。 歩きながら、ロンドンの風景を眺めた。がやがやと賑やかで、明かりがきらきらと輝いていて。 この眺めをわたしたちが守っているのだと思うと少しだけ、自分に誇りが持てたような気がする。 「あ……」 「どうしたの?よしかちゃん」 ショーウインドウの一つに目が留まった。見上げてみれば骨董品や古ぼけた時計なんかを扱っている煤けたお店。 けどその汚れが年季や時代を感じさせてなんとなく、気に入った。 「あ、あの!リーネちゃんちょっとだけ買い物させて!」 「え……うん、いいけど」 「ありがとっ!」 そう礼だけ告げて、わたしはその店に入って行った。 宴もたけなわ。そろそろ消灯の時間。 夕食の後片付けで流し台に立って、隣に居る人に話しかけた。 「……せっかくの誕生日なんだから、こんなことしなくていいのに」 エイラさんが片づけを申し出たリーネちゃん達を強引に帰らせて、洗い物に付き合ってくれていた。 嬉しいんだけど、なんだか悪いなぁ……。 「せっかくの誕生日なんだから、我が儘聞いてくれてもいいじゃん。……その、二人っきりになりたいし」 「……うん」 ああ、どうしよう。今すぐ顔を覆いたいくらいに熱い。 けれど今わたしの両手は泡だらけで、それを許さない状況だ。 「け、けどエイラさんってばいきなり泣き出すんだもん。びっくりしちゃったー!」 「あれは……!な、泣くだろふつー!サーニャが……サーニャがおめでとうって……ありがとうって……ぐす」 「あーはいはいほら泣かない泣かない」 思い出したらまた込み上げてきたらしい。洟を啜る音が聞こえてきた。 蛇口を捻って水を勢い良く出して、両手の泡を洗うよう促した。 「だって……らって私、こんな嬉しい誕生日初めてなんだよぉ、ミヤフジぃ」 「はいはい、よしよし」 大急ぎでわたしも手を洗って抱きついてきたエイラさんの頭を撫でた。 おかしいなぁ。いつもとまるで逆の立場だ。 「ぐす、ごめん、もう落ち着いたよ」 「うん、よかった」 食器を水で濯いで布巾で拭く。その間、なぜかお互い無言だった。 「……ねぇ」 「な、なんだ?」 沈黙を破ってわたしが先に口を開いた。 「その……わ、渡したいものがあるから……後で、部屋に来て?」 ああ、どきどきする。 エイラさんはこんなどきどきをもう二度も味わったんだろうか。 クリスマスの時と、バレンタインの時。こんな期待と不安でいっぱいの感情を、もう二度も。 対してわたしはこれが初めてだ。……いや、二度目になるんだろうか。 初めて彼女に好きと伝えた時の事を思い出す。あの時は期待なんてひとかけらも心の中に無かった気がする。 ただ自分の気持ちに決着をつけたくて。気持ちを抑えられなくなって。ただ我慢の限界だったのかもしれない。 そのぶん、今の感情の方がまだ、気が楽かな、なんて思ったりした。期待と不安が半々。うん、大丈夫。 「み、ミヤフジー、入るぞー?」 「は、はひっ!」 こんこんというノックの音に頼りない返事をすると、たっぷり数秒時間を置いてドアが遠慮気味に開いた。 見た目にもわかるくらいかちこちのエイラさんがぎくしゃくした動きで部屋に入ってくる。 緊張……してるのかな。そ、そうだよね……そうだといいな。わたしからプレゼントだなんて、初めてだし。 「お、お邪魔します」 「ど、どうぞ」 言ってこたつのわたしの隣を手で示した。 ……しょ、正面の方が良かったかな……?一瞬そう思ったけど、エイラさんは迷わずわたしの隣に腰を下ろしてくれた。 わたしとエイラさんとの間には拳ひとつ……ううん、みかん一個ぶんくらいの隙間が開いている。 横顔を見上げると顔を真っ赤にして何も無いところを真っ直ぐに見つめていた。顔の筋肉がぷるぷると震えている。 そんな表情がなんだかかわいくて、少し、わたしの気持ちが落ち着いた気がした。 「あの、エイラさん」 「なっ!なんだ?」 声が裏返っている。そんないつもはすごく堂々としてるのにいざって時に気が弱いところが、たまらなく愛しい。 エイラさんからは見えない位置に置いた箱に手をかける。 「あの……これ。わたしからの誕生日プレゼントです」 差し出す。胸がどきどきと高鳴った。 その箱を視界に納めた瞬間、エイラさんの顔がくしゃっと泣きそうになる。 「……受け取って、くれますか?」 おめでとうと、ありがとうと、大好きをたくさん籠めて。貴女との思い出と、これからに思いを馳せて。 今この時という貴女の生まれた大切な日を祝おう。 あの満月の夜、貴女にだけ告げていなかった言葉を。貴女に告げられて嬉しかった言葉を。 「お誕生日おめでとう、エイラさん!」 そう告げると貴女は泣きそうになって、慌てて目尻を擦ったあと、真っ直ぐわたしの目を見て笑った。 「ありがとな、ミヤフジ」 みかん一個ぶんの隙間が、いつの間にか埋まっていた。 ※言い訳※ ・ウィルマお姉ちゃん書いてて楽しい!けど後々が怖い! ・エイラさん誕生日おめでとう!愛してます!