よしこ×エイラSS 「15-21/02/45」side-B サーニャ視点 分厚い雲を飛び越えると、眼下に広がる切れ切れの雲の絨毯の上に黄金色のお月様が顔を出す。 こんばんは、今夜もよろしくね、と心の中でご挨拶。 濃紺と、白と、金色。わたしだけが堪能できる綺麗な世界だ。 「らん……らららん……」 気づくと口が勝手に歌いだしていた。お父様がわたしの為に作ってくれた、大切なうた。 もう完全に口癖になっているようで、夜飛ぶと、自然に口をついて出てくる。 ……でも、今日は違う歌にしてみようかな。そう、クリスマスの時みんなで歌ったあの歌にしよう。 そう思って、高高度の冷たい空気をゆっくりと吸い込んだ。 「らんらんららんらん、らんら、らんらんららんらん……」 「そろそろかなぁ……」 独り言を呟いて一旦姿勢を立ててホバリング状態に移行する。 満点の星空を見上げて方角を確認した後、魔道針の感度を一気に上げた。 目標地点はブリタニアの対岸。ガリアの北部。ドーバー海峡戦線を凌ぐほどの激戦区。 ざざざ……と一際大きなノイズがスピーカーから耳をつんざいた。 ……もう慣れたものだけど、この音だけはどうしても好きになれない。 「ええと……」 口に出しながら目的の周波数の探索を開始する。確か……。 両側頭部に発現したグリーンの魔道針が光の粒子をばらまきながら微かに明滅する。 しばらくチューニングを続けていると、途端にインカムから聞こえてくる音声がクリアになった。 軽く深呼吸をして右耳にはめたインカムをとん、とん、と2回小突く。 数秒置いてスピーカーからとん、とん、と応答が返ってきた。 乾きかけた唇をぺろりとひと舐めして、できるだけ凛とした声を心がけて口を開いた。 「こちら連合軍第501統合航空戦闘団所属、コールサインリーリヤ、応答願います」 返答を待つ間、夜空を見上げた。色とりどりの星が懸命に瞬いて、そのうちのひとつが尾を引いて消えた。 「コールサインゴースト、受信を確認しました。……こんばんは、リトヴャクさん」 儀礼的な口調で仕事用の言葉を紡いだあと、ふいに柔らかな挨拶が聞こえてきた。 以前はわたし一人がこの暗い空を飛んでいたと思っていたけど、そうじゃなかった。 見上げれば星と月がそこにあった。どこかわたしの知らない土地でも、わたしと同じように夜を飛ぶ魔女がいることを思い出した。 「こんばんは、シュナウファーさん」 わたし達は再会の挨拶を交わした。 聞こえてくるのはノイエ・カールスラントで流行のポップス。 ヨーロッパにもまだ生き残っている放送局があるのだろう。 お父様のピアノを乗せて飛ばしてくれた局のように、人類はまだ強く生きている。 カールスラント語の番組ではあるけれど、以前ウィーンで暮らしていた時期もあったから日常会話くらいなら充分理解できる。 波長を合わせてシュナウファーさんにも聞こえるように調整した。 対象の位置が遠すぎるから、芳佳ちゃんやエイラに聞かせたみたいにクリアにはならないかもしれないけど。 ……最初はエイラとだけの秘密だったのに、秘密を共有している人がもう3人にまで増えてしまった。 けど、秘密を共有できるという事は、その人と多少は親しくなった事の証拠のように思えて、なんだか嬉しかった。 スピーカーからは、音量を下げた曲をバックにパーソナリティがリスナーからのハガキを読み上げては気の利いた返事を返している。 ……はきはきと喋れる人の事が羨ましいと、時々思うことがある。わたしは人と話すのが……得意な方ではないから。 実際、今もシュナウファーさんとは殆ど会話が無い。まだ知り合ってから数日。知っているのは名前と所属と階級くらい。 お互いになんとか話の種を探して振って、一言二言会話が成立するも、後が続かなくなって押し黙る。その繰り返し。 これは「友達」と言えるのだろうか。まだ「知り合い」なのだろうか、わたし達は。 もっと話をしたい。芳佳ちゃんやリーネさんやエーリカさんとするように、他愛のない話を延々と。 彼女の事をもっと知りたいと思った。 「……今夜も、月が大きいですね……」 「え?」 見上げると、真円に近い大きな月が悠々とわたしの事を見下ろしていた。 しっとりとした、優しい月光が夜を飛ぶわたしを見守ってくれている。 「綺麗……ですね」 自然に声が漏れていた。 話すという事はこういう事なのかもしれないと、思った。 数刻置いて、スピーカーから消え入りそうな声が聞こえてくる。 「……綺麗だけど……眩しい、です」 「眩しい?」 予想していなかった返答に思わず聞き返す。 月の光はこんなにも柔らかで優しいのに、彼女はこれを眩しすぎるという。 こくりと唾を飲み込むような音が聞こえて、シュナウファーさんが語りだした。 「私の固有魔法は……暗視だから。この月明かりは少し……眩しすぎます」 暗視。月や星の微かな明かりを増幅させて、夜間でも昼間のような視界にする魔法。 なるほど。今夜は暗視能力を持っていないわたしでもヨーロッパ大陸が望めるほどに明るい。 確かにこれでは彼女にとっては夏の日差しのように感じるのかもしれない。 「あの……調整とかできないんですか?」 「う……の、能力が大きすぎるみたいで……最弱にしてもやっぱり眩しいんです……」 「あー……」 さすがはカールスラント夜戦のトップエースの魔法。 ミーナ隊長に聞くと、彼女の眼は新月の夜のほぼ視界ゼロの真っ暗闇の中でも問題なく視えるのだという。 闇に紛れる黒いネウロイも、彼女にとってはただの的でしかないのだろう。 「……これのせいで……制御ができていなかった小さい頃はずっと暗い部屋に閉じ篭ってて……と、友達もできなかったし……」 しかしその固有魔法の存在で、彼女は扉の内側に閉じ篭らざるをえなくなったらしい。 誰もいない、誰も来ない。暗く、寂しく、わたしなんかには想像も出来ないほどの孤独だったのかもしれない。 わたしには運良くエイラがいてくれたけど、彼女にはそんな存在がいるのだろうか? もしいないのであれば、わたしがなってあげたい。そう思った。 いつの間にかラジオは喋る声も聞こえなくなって、空気を読まない変に陽気な音楽だけが流れている。 黙りこくる彼女にかけるべき言葉を探し当てて、深呼吸した。 「……提案なんですけど」 「は、はい?」 またいつものように会話が途切れたと思って油断していたのか、気の抜けかけた返事が聞こえてくる。 「……一度、魔法をオフにしてみませんか?」 「ええ!?」 突拍子も無い事を言ったのだと思う。 せっかくの明るい視界を捨てて、元の闇に戻せと言う。わたしの言った言葉はつまりはそういうことだ。 「む、むむむ無理ですよ!?哨戒任務中ですし、私……と、鳥目気味だし……」 彼女にしては珍しい大声に混じって、一瞬ぶおん、というプロペラ音がスピーカーから聞こえた。 おそらくホバリングの体勢をとったのだろう。 「……それに、暗いのは……怖い、です……」 初めて夜を飛んだときの芳佳ちゃんを思い出した。 夜は怖い。暗くて、何も見えなくて、ただひたすらに恐ろしい。……誰だってそう。だから人は明かりを求めた。 しかし彼女にとってはその明かりすら脅威だったという。だから目を瞑って閉じ篭った。闇も光も見えないように。 ……以前のわたしと同じ、いやたぶんそれ以上に孤独だったんだろう。 息を飲んだ。努めて優しい口調を心がける。 「……大丈夫ですよ。……今夜は月がこんなに明るいですから」 「…………」 エイラにされたように、抱き締めて励ましてあげることはできない。 芳佳ちゃんにしたように、手を繋いで勇気づけてあげることもできない。 けれど声ならかけてあげられる。がんばれと応援して、信じてあげることならできる。 たぶんそれだけが、わたしにできることなのだろう。 「……できるでしょうか。夜、暗視を切った事なんてないんです……」 「……できますよ。きっと」 根拠なんて無かった。保障も何も無かった。けど、信じていた。 会ってまだ数日の彼女の事を、わたしはただ、信じていた。 ……芳佳ちゃんとエイラが、わたしの事を信じてくれたように。きっと、きっとできるよ、って。 「……や、やってみます」 すう、はあ、すう、はあと何度も深呼吸の音が聞こえた。 しばらく沈黙が続いた後、意を決したように、声にならない声が短く響く。 「……ッ!」 いつの間にか左の拳を握って、胸に当てて、祈るようなポーズをとっていることに気づく。 ……大丈夫。きっと大丈夫。 「…………」 「どう……ですか?」 おずおずと聞くも、反応は返って来ない。 場にそぐわない陽気な音楽だけがわたし達の間に流れていた。 「……綺麗、です……」 ようやく返ってきた言葉はそれだった。 「……月って、こんなに綺麗なものだったんですね……。なんだか、久しぶりにこうやって見上げた気がします……」 反応を聞くに、おそらくできたのだろう。ほっと胸を撫で下ろす。 「……それに、明るくて、優しい光です……」 「そうですね……」 そう応えて、彼女が見ている月と同じ月を見上げた。 黄金色の少し欠けた月がわたし達を見下ろしていた。 『えー番組の途中ですけど、ここで私からお知らせです』 聞こえていた陽気な曲の音量が下がって、パーソナリティの声が割り込んできた。 押し黙っていたわたし達二人はその声に少し驚く。 『日が変わって本日2月16日はなんと!私達の夜を守ってくれているナイトウィッチ、ハイデマリー・W・シュナウファーさんの16歳の誕生日です!』 「え……?」 「へえぇっ!?」 突然の出来事に大いに驚くシュナウファーさんとは対照的に、わたしは不思議と落ち着いていた。 前に……似たような事があったから。 わたしの友達の誕生日は、なんでこういつも急にやってくるんだろう。 「今日、誕生日なんですか?」 「……へっ?あ、あの、えーと……じ、実はそうなんです……」 『ご本人さんはもしかしたら聞いていないかもしれませんが……番組では、スタッフ一同感謝を込めてお祝いのメッセージを送ろうと思います!』 インカムからは、やたらテンションの上がったパーソナリティが興奮気味に場を盛り上げていた。 もしかしたら彼女のファンなのかもしれない。 「貴女が守っている人たちですよ」 「……え?」 「……貴女の魔法のおかげで、貴女が夜を飛んでいるから、この人達は安心して眠れるんです。貴女がこの人達の夜を守っているんです」 スピーカーからはどたばたと、ブースの中にスタッフを押し込む音らしきものが聞こえてくる。 「貴女は一人ぼっちなんかじゃないです。貴女を信じている人がこんなにもいます。わたしだって、います」 「…………」 「今この時この放送を聞いていたのも、偶然とか、奇跡とかじゃないはずです。きっと」 パーソナリティが小さく、音頭をとった。 『ハッピーバースデイ!シュナウファー大尉!』 わたしも続いて、あの日のように告げる。 「お誕生日おめでとう、シュナウファーさん」 「う……ぐす、あ、ありがとう……ございまひゅ……いたっ!?」 洟を啜る音に混じって小さく声がした。……痛い? 「ど、どうしたんですか?まさか、ネウロイ!?」 「ち、違うんです!あの、涙が……出て、拭おうとしたら……その、眼鏡に当たって……」 「眼鏡……」 ああなんだ、びっくりした。 緊張しかけた心がすぐに解きほぐされていく。 「……ふふ」 思わず笑いが漏れてしまった。 「わ、笑わないでくださいリトヴャクさん……」 「……ふふ、ごめんなさい」 眼鏡、かけてるんだ。 またひとつ、彼女の事を知った。 翌日は珍しくお昼過ぎに目が覚めた。 二度寝しようかと思ったけど、昨夜あんなハプニングがあって少し興奮しているのかどうにも寝付けない。 仕方なく諦めて制服に着替えた後、顔を洗って目を覚ました。 食堂で後片付けをしていた芳佳ちゃんに頼み込んで、少し遅めの昼食を作ってもらった。 扶桑のお料理は独特の味付けだけど、芳佳ちゃんの作ったものは美味しい。 あの納豆という料理も最初は面食らったものの、落ち着いて食べてみればそう不味くもなかった。 ねばねばするのが難点だけど、以前坂本少佐が持ってきた肝油に比べればいくらもまし、だと思う。あれは……ちょっと……。 昼食のお礼にと、芳佳ちゃんに紅茶をご馳走していると、思い詰めたような顔で相談を持ちかけられた。 「お願いっ!何か参考意見を聞かせてっ!」 ぶんっ、と風を切る音がするほど勢いよく、隣に座った芳佳ちゃんが迫ってきた。 まっすぐわたしを見つめる両目には、明らかな焦りの色が見て取れる。 「……芳佳ちゃん、まだ用意してなかったの?」 少し驚いた。先月の末ごろにうきうきとしながら「何を贈ろう」と言っていたはずなのに。 結局今までずっと悩んでいたのだろうか。 「は、恥ずかしながら……な、なにか無いかな?好きなものとか……欲しがってたものとか……」 「うーん……エイラって、欲しいものとか、昔話とか全然しないから……ちょっとわからないかも」 「そ、そう……」 期待に添えられる返事ができなくて、肩を落として目に見えて沈み込む芳佳ちゃん。 かけるべき言葉を探して一瞬考え込む。 「……実は、わたしもプレゼントの用意、まだなの」 「ええっ!そうなの?」 「うん」 これは本当だった。エイラへのプレゼントはわたしもまだ決めかねている。 「形に残らないものでも、たぶん記憶には残ってくれるから」 「???」 わたしの曖昧な表現に、芳佳ちゃんが首を傾げた。 あー……うーん、よし。 「わたしね、昨夜思い出したの」 小さく深呼吸して言葉を探した。 「あの夜、芳佳ちゃんとエイラが誕生日を祝ってくれてとっても嬉しかった。お父様のピアノも聴けて、最高の誕生日だと思ったの」 「あ……」 芳佳ちゃんの口から微かに息が漏れる。 ……思い出してくれたのだろうか。わたしと、芳佳ちゃんの誕生日の事を。 「次の日には隊のみんながいっぱい祝ってくれて……お料理やケーキはもう食べて無くなっちゃったけど、大切な大切な思い出になったの」 料理もケーキももう存在しないけど、あの時の楽しかった思い出は今もこの胸の中にある。写真だって残っている。 なにより、みんなに「おめでとう」と言ってもらえた言葉が……ううん、気持ちがすごく嬉しかった。 贈り物はモノじゃない、大切なのはキモチ。 たぶん、エーリカさんが何気なく言った言葉だったと思うけど、強烈に頭に残っている言葉を借りた。 「プレゼントはおまけ、本当に大切なことは、相手の事を心の底から祝うこと……エーリカさんの受け売りだけどね」 「サーニャちゃん……」 言って遠慮気味に舌を出して笑った。 それにつられてくれたのか、芳佳ちゃんもいつの間にか微笑んでくれていた。 「あれー?サーニャ、今日は珍しく早起きじゃないかー」 訓練がある、とのことで芳佳ちゃんと別れた後、することがなくなってしまった。 自分の待機時間まで暇を持て余して、ふらふらと基地内を散歩していると、後ろから声をかけられた。 少し間延びした、一見棒読みのように聞こえるけれどどこか優しい、聞き慣れた声。 「おはよう、エイラ」 「おはよ。起きてて大丈夫なのか?眠くないか?」 矢継ぎ早に質問責めにあう。これでも以前よりはだいぶましにはなった。 夏ごろなんかはちょっとあくびをしただけで天変地異でも起きたのかの如く心配されていた。 大丈夫なのに……ちょっと過保護すぎよ。なんて少しだけ煙たく感じたりもした。 でもエイラは本当にわたしの事を心配してくれていたのだろう。エイラはすごく、優しいから。 「平気よ。なんだか早く目が覚めたから、お散歩中なの」 「そっか。あんまり無理しちゃダメだからな?今夜も哨戒なんだろ?」 そう言って頭を軽く撫でられた。 くしゃくしゃと髪を掻き混ぜる手が心地良い。 「うん、大丈夫」 「……そっか」 わたしの返答を聞いたエイラの目が細まって、ほんのちょっと寂しげな表情を作った。 ……優しくしてくれるのは嬉しいけれど、心配はしないで欲しい。 わたしだって、エイラに心配なんてかけたくはないから。 そこまで考えて、ふとエイラを元気付ける案が浮かんだ。 「ねえ、エイラ」 「うん?」 「誕生日、楽しみにしててよね」 「うぇっ!?あ、あれ?今日って何日だったっけ!?」 ……忘れていたんだろうか。自分の誕生日なのに。 まぁ……今月は頭から妙に忙しかったし、それも当然なのかな。 「2月16日だよ」 「うわー、すっかり忘れてた……って、た、誕生日に何かしてくれるのか……?」 「ないしょ」 人差し指を口元に立てて、口を閉めるポーズ。 タネを事前にばらしてしまってはきっとつまらない。エイラには当日までやきもきしてもらうことにしよう。 「そ、そんなぁ……」 「だから、楽しみにしててよね?」 「うぅ……」 黙り込むエイラの返答を待たずして、くるりと踵を返して駆け出した。 「あっ!あんまり急ぐと転ぶぞ!?」 「へいきー」 さて、言ったからにはちゃんとプレゼントを用意しなくては。 有言実行と言えば聞こえはいいけれど、こんな見切り発進みたいな事ができるようになったのかと、自分でも少し驚いていた。 基地を出て中庭まで足を伸ばした。 こんなに明るいうちから基地を散歩するのは久しぶりだ。 今日は日差しもあたたかで風も弱い。日向ぼっこをするには最適の天気だった。 どこかの日向にルッキーニちゃんがいるかもしれないと思い当たって、探してみることにする。 「あら?サーニャさん、今日はお早いんですのね」 思い立った瞬間に、呼び止められて周囲を見渡した。 生垣の向こうから金色の髪をふわりとなびかせて、ペリーヌさんがひょっこりと顔を出す。 「あ、おはようございます、ペリーヌさん」 「こんにちは、ではなくって?……まぁ貴女にしてみればおはようなのかもしれませんけど」 「はい、こんにちは、ペリーヌさん」 挨拶を返すと一瞬きょとんとした表情になって、すぐにまたしゃがみこんで、生垣に隠れてしまった。 ……意外と照れ屋さんだ。 「……今日は格好がいつもと違いますね」 生垣をぐるりと回って、作業を続けるペリーヌさんの隣に同じようにしゃがみこんだ。 見るといつもの鮮やかな青い自由ガリア軍の制服ではなく……白衣のようなものを身に纏って、両手には軍手が装着されている。 そのところどころに茶色い土汚れが目に付いて、ペリーヌさんのイメージにそぐわなかった。 「あぁ……この服?花壇の手入れをするのにいつもの制服じゃあ汚れてしまいますもの」 「……この花壇って、ペリーヌさんがお世話をしていたんですか?」 「ええ。いつもなら貴女は寝ている時間ですから、知らなくて当然かもしれませんわね」 ペリーヌさんとの会話はいつもこんな調子だ。 言葉は刺々しいけれど、こういう言葉遣いが身についているからしょうがないのだろう。 本当は花を愛でる心を持った優しい人なのだ。 「花が好きなんですね」 「ええ。お父様のシャトーから見下ろす一面の花畑が大好きでしたわ」 「……すみません」 「気にしてませんわ」 気づかず酷い事を言ってしまったわたしに、にべもなく言葉が放たれる。 俯き気味だった顔を上げてみると、口調も顔色も変えずに、黙々と植物の剪定を続けるペリーヌさん。 「……少し前はわたくしも心に余裕が無くて、貴女に酷い事を言ってしまったような気がします」 「いえ、そんな……」 「ごめんなさい」 一方的に謝られてしまった。 どう反応していいものか見当がつかず、しばらく返事もせずに黙り込んだ。 当のペリーヌさんは返事が無いのが当たり前だと言うかのように黙々と作業を続けている。 こんな時返すべき言葉は…… 「き、気にしてませんから」 言った途端、ぴたりと手を止めて珍しいものを見るような視線を向けられる。 数秒その金色の瞳でじっと見つめられた後、ふっと、今まで見たことが無いような優しい微笑みになって、 何も無かったかのように花壇のほうを向いて、また手を動かし始めた。 「……そう。おあいこ、ですわね」 「……おあいこ、です」 わたしも、慣れた手つきで綺麗になっていく花壇に目を遣って、閃いた。 「あの、ペリーヌさん。聞きたいことがあるんですけど」 残念だけど、ルッキーニちゃんとのお昼寝はまた今度にしよう。 ペリーヌさん曰く、 「そういう事でしたらリーネさんの方が詳しいんじゃなくて?あの子、いかにも乙女乙女してるでしょう」 との事で、今度はリーネさんを探すことになった。 リーネさんがよく行く場所といえば食堂か、ミーティングルームか、もしくは自室か。 訓練の直後だからお風呂かもしれない。 とりあえずまずはここから近いリーネさんの部屋に向かおうとして、はたと足を止めた。 「……少しずるしちゃおうかな」 独り言を呟いて、魔法力を開放した。黒猫の耳と尻尾が生えて、頭の両脇に魔道針が浮かび上がる。 覗き見るようで気が引けたけど、時間は残り少ないからショートカットが欲しかった。 エーリカさんの影響なのか、エイラがなんでもやってくれていたからか、こう見えてわたしは面倒臭がりなのだ。 「うーん……」 頭の中に基地の宿舎の見取り図を思い浮かべて、リーネさんの部屋の位置に狙いを定めた。 (ごめんなさい、リーネさん) 心の中で謝って、まずは部屋の中を確認する。 「……わっ」 壁と床とドアを通り抜けて、閉じた瞼の裏に浮かび上がった光景を見て、思わず魔法を解いてしまった。 どきどきと鳴る胸に手を当てながら呟く。 「…………おっきい……」 着替え中だった。 「えぇ……っと、はい、これでいいかな?サーニャちゃん」 着替え終わる頃合を見計らって部屋を訪れて、貸して欲しい旨を伝えると意外とあっさり目的のものが手に入った。 さて、あとはこの本で調べて、現物を手に入れれば任務は完了だ。 「ありがとう……助かります」 覗き見まがいのことをしてしまった後ろめたさからか、少し俯き加減でお礼を言った。 目を向けると丁度わたしのものとは比べ物にならない程の大きさのそれが視界に大映しになる。 ……しまった。ちゃんと顔を上げて堂々としていればよかった、と赤面しながら考えた。 「ううん、わたしもサーニャちゃんの役に立てて嬉しいよ」 リーネさんが笑いながら言う。 最近はすっかり仲良くなったわたし達だけれど、夏ごろは接点が全く無くて、話をした記憶もほとんど無い。 リーネさんもペリーヌさんも孤立気味で、わたしもエイラ以外とはほとんど交流を持っていなくて、バルクホルンさんも焦っていて…… そんなてんでばらばらだった隊を、突然やって来た芳佳ちゃんがどんどん隙間を埋めていった。 たぶんリーネさんがその最たる例だと思う。 芳佳ちゃんとお友達になって、すごく明るくて、素敵になった。きっと元々優しい性格だったんだろう。 そのおかげかわたしも声をかけやすくなって、今もこうして本の貸し借りなんていう、友達なら当たり前のごく普通のことをしている。 「ねえサーニャちゃん、ちょうどいいからこれから準備してお茶会を催そうと思うんだけど、どうかな?」 「あ、いいですね。本を置いたらお手伝いします」 そういえばもうすぐアフタヌーンティーの時間だった。 「……リーネさんの作るお菓子……好きです」 「ふふ、ありがとう!じゃあ今日は腕によりをかけて作るからね!」 早起きはしてみるものだな、と思った。 翌17日。予測より二日早くネウロイの襲来があった。 お昼過ぎに襲来を告げるサイレンが鳴り、眠い目を擦りながらブリーフィングを行って、割り振られた出撃メンバーを見送った。 今回はわたしとエイラ、リーネさんとペリーヌさん、それと坂本少佐がお留守番だった。 ……誰も撃墜されませんように。 おそらく残った5人全員が、人知れず祈った。 2時間後、ネウロイ撃墜の報が坂本少佐の口から告げられて、居残り組の顔に安堵の色が浮かんだ。 被撃墜なし、負傷者なし。大勝利だったそうだ。 「よかった」と大きく息をつくリーネさん、わたしの視線に気づいて「当然ですわ」と髪を掻きあげるペリーヌさん、 なんとなく落ち着いた表情のエイラ、ほっと一息、といった表情の坂本少佐。 反応は様々だったけど、全員が出撃メンバーの無事に安堵した様子だった。 「エイラ、前に比べてずいぶん落ち着いたよね」 「そうかー?」 「ちょっと前まで凄かったよ?そわそわして、ブリーフィングルームをうろうろして」 「うぇー?き、気づかなかった……」 芳佳ちゃん達が帰ってくるのを待つ間、ミーティングルームでお話をする。 「弟や妹が生まれた時のお父さんみたいでしたよ。病室の前を行ったり来たりで……」 「複雑な例えだけどリーネは少し空気を読もう」 「あ……ご、ごめんなさいっ!ペリーヌさん!」 「そこまで過剰反応される方が癪に触りますわ……。忘れたわけではありませんけど、普通に話せばよろしいんでなくて?」 「うぅ……でも、ごめんなさい」 「……ペリーヌさん、優しいです」 「ついにデレ期かー?」 「そんなものありませんわよ!」 そんな話をしていると、帰還したみんなががやがやと部屋に入ってきた。 「すげー!宮藤すげー!宮藤無双だったじゃん!」 「私は最初から解っていたぞ…!宮藤はきっと伸びるとな!」 「あの機動は凄かったけど、ちょっとワンマンプレイすぎる気もするからチームプレイも意識するよーに、宮藤」 「うじゅ、ヨシカあれどうやったのー!?」 「わ、わかりません……!考え事しちゃって無意識というか無我夢中で……」 「無意識かよ!こいつもしかして大物なんじゃないか?」 「ヨシカすごいすごーい!」 「宮藤ィー!!戦闘中に考え事とは何事かァ!鍛え直してやる!特別訓練だ!!」 「ひぃええええええええ」 「わ、わたくしもお供いたしますわ坂本少佐ぁー!!!」 と、坂本少佐に引き摺られて行く芳佳ちゃんと、それを追いかけるペリーヌさん。 「……おかえり言いそびれた」 「……わたしも……」 「あはは……」 18日。 非番を利用して芳佳ちゃんと一緒にバスに揺られてロンドンまで向かった。 「サーニャちゃんはもうプレゼント、決まったの?」 行きの道すがら、芳佳ちゃんが聞いてくる。 「一応は……でも今の時期はなかなか見つからないものだから探さなきゃ」 「手伝おうか?」 「大丈夫だよ、芳佳ちゃんはまだ決まってないんでしょ?」 その事で知り合いに相談に行くのだという。 わたしに付き合わせてしまって結局決まらない、なんて事になったら大変だ。 「頑張ってね、芳佳ちゃん」 「うん……ありがとう」 そう言葉を交わして、バスを降りたところで別れた。 ぱしぱしと頬を叩いて気合を入れなおした。 わたしも頑張らないと。 意外にもあっさりと、目的のものはすぐに見つかった。ただ…… 「21日ですか……今日お買い上げですとダメになってしまうかもしれませんね」 「そうですか……」 とすると前日あたりにまた買いに来る羽目になるのかもしれない。 考え込むわたしを気遣ってか、店員さんが遠慮気味に声をかけてくる。 「宅配も承っておりますが……」 「……じゃあ、お願いします」 「はい、ありがとうございます!ではこちらに住所とお名前を……」 少し考えてYESと返答すると、笑顔になった背の高い女性店員さんが紙とペンを差し出してきた。 こういうお買い物を一人でするのは初めてなので、どきどきする。 「あ……や、やっぱり」 「はい?」 慎重に名前を書き終わったところで、店員さんが声を上げた。 顔を上げるとはっとしたように口を押さえて恥ずかしそうに「すみません」と謝られる。 「あ、あの……失礼ですけどストライクウィッチーズのリトヴャク中尉さんでしょうか……?」 「え……あ、はい」 「わぁ!わ、私、ファンなんです!すごい!お会いできるなんて……」 ふぁ、ファン?わたしの? 興奮気味に喋る店員さんにちょっと面食らう。 「あ……す、すみません……私ったら興奮しちゃって……」 「いえ……ちょっとびっくりしました……」 「あの!い、一番いいのをお届けしますね!これからも頑張ってください!応援してます!」 全然知らない人にここまでストレートに好意を向けられたのは初めてで、店を出る段にはもう、赤面して俯くしかなかった。 ……凄く嬉しかったけど。 21日、エイラの誕生日。 「……なんか悪いなー。私ってほとんど出撃とかしてないのに」 「気にするな!めでたい事はおおいに祝えばいい!はっはっはっは!」 「少佐、酔ってる?……いやいつもの少佐か」 「はっはっはっは!」 夕食のお祝いの席で、なんだか珍しいツーショットを見た。 エイラの背中をばしばし叩きながら飲み物を注ぐ坂本少佐は、失礼かもしれないけどよく聞く豪快なお父さんのようだ。 少し離れた位置に座るエイラに、すたすたと歩み寄る。後ろ手に贈り物を隠しながら。 「だから私は酒とか好きじゃないんだってば」 「む……そうか、すまん……」 「そんな目に見えて落ち込まなくても……」 「エイラ」 坂本少佐と楽しそうにお喋りをしている所悪いけど、ちょっと割り込ませてもらった。 もうすぐ哨戒の時間だ。早く渡さないと渡しそびれてしまう。 「さ、サーニャ……」 前に立つと、びくっと肩を震わせたエイラがゆっくりとこちらを向く。 目が合うと、少しどきどきした。 そういえばわたしがエイラに贈り物をするのはこれが初めてのような気がする。 わたしはエイラに貰ってばかり。誕生日も、クリスマスも、バレンタインも。 ううん、何でもない日だって、エイラの優しさを貰ってばかりだった。 だからこれは、お祝いであってお礼。貰ってばかりのわたしからの、お返し。 手に持ったそれを差し出した。真っ白な花弁が少しだけ揺れる。 「今までありがとう。これからもよろしくね」 おめでとうと、大好きと、今まで言えなかったありがとうをたくさん籠めて。 今この時という貴女が生まれた大切な日を祝おう。 わたしは口下手だから、全部は伝えきれないかもしれないから、花に思いをたくさん籠めて。 いっぱい出来たお友達のおかげで、やっと選べた貴女に向ける言葉を贈ろう。 「お誕生日おめでとう、エイラ」 そう告げると、泣きそうな笑顔でフリージアの花を受け取ってくれた。 「こちらこそよろしく、サーニャ」 インカムをとん、とん、と2回小突くと、しばらく間を置いてとん、とん、という返事。 小さく息を吸っていつもの合言葉を口にする。 「こちら連合軍第501統合航空戦闘団所属、コールサインリーリヤ、応答願います」 流れるような口調で告げる。 以前は長すぎて所々詰まったりしていた身分証明も、やっとすらすら言えるようになってきた。 話す、ということに慣れてきたのかもと思い、少し嬉しくなる。 「コールサインゴースト、受信を確認しました」 返答が返ってきた。 感度は良好。ノイズも少なくて聞こえはばっちりだ。 「こんばんは、ハイデマリーさん」 「こんばんは、サーニャさん」 再会の挨拶を交わすわたし達を、少し欠けた月が優しく見守ってくれていた。 ※言い訳※ ・サーニャって難しい。 ・ラジオ誕生日の話って軽く調べたら44年と45年の表記があるんですけどどっちが本当なんだろう… ・マリーの脳内CVは能登!妊婦!妊婦!キャラどんどこ捏造しちゃったよマリィー! ・ベルギーとかネーデルラントって生き残ってるんだろうか